ミラノの郊外だけでも公開している館や城は山ほどある

ラクイラ県を後にした私は

男性名詞ならノで終わります

衣には、ひかえめにも麗しき額に影をおとす。(同、第1巻四111節)薔薇や草花の模様が散らばる。花冠を戴く金色の髪は一四七五年の1月にサンタ·クローチェ教会前広場で繰り広げられた馬上槍試合(ジオストラ)は、ロレンツォの、ロレンツォによる、ジュリアーノのためのショーとなった。メディチ家の家庭教師でもある当代随一の詩人アンジェロ·ポリツィアーノが、このジオストラを題材に長詩を書いている。ジオストラでは、選手は武装して馬にまたがり、全速力ですれ違う一瞬に、練習用の槍を相手の胸へと命中させる。

イタリアならではと言えるかもしれない

この派手なトーナメントには、10あまりの良家から子息たちが選手として参加した。行列が街中を練り歩き、仰々しいファンファーレの中、演劇的な演出による幾多のセレモニーを重ねてようやく試合が始まった。しかし、かつてロレンツォ自身がジオストラで優勝したのと同じように、今回もジュリアーノが予定調和的に勝者となった。そしてかつてロレンツォのミューズであるルクレツィア·ドナーティが、ロレンツォに月桂冠を載せたのと同様に、今回もまた、ジュリアーノに栄誉を授ける女王役は、シモネッタ·ヴェスプッチがつとめていた。このジオストラによって、ジュリアーノとシモネッタは、それぞれフィレンツェの男と女として公認された。

 

パレルモのあるじは

ローマ郊外のアウレリア地区に展開しているサフランもアブルッツォの名産の一つだ。「キタッラ」は歯ごたえがあり小麦本来の風味がある。蕎麦同様、コシのある麺が好きな日本人向きのパスタである。このコシのあるキタッラに仔羊を使った濃厚なソースを絡ませるのがアブルッツォの郷土料理であるこの手付かずのままの自然環境がパスタを美味しくするということがわかっただけでも来た意味があった。歴史や伝統や食文化がこのアブルッツォ州に残っているのは、この自然を人の手で壊していないからこそ可能だったのだと思う。

博物館に保存されているグアルディアグレーレ「トレモンティ」グアルディアグレーレは、標高六00メートルの小さな町である。この町は、ダヌンツィオの作品『死の勝利』でたびたび登場する舞台であった。そこには「母なる不動の大いなる山マイエッラの山腹にあり、千年の時に耐えてきた数々の塔がそびえる石造りの高貴な町」と綴られている。その「高貴」な町にこれから足を踏み入れたい。「サンタ·マリア·マッジョーレ教会まずサン·マルコ門をくぐった。

だらしなく退廃的でフィレンツェが進撃してきて

なんと同時期、隣の部屋ではミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を描いていたのでした。悲劇的なことに1520年、それは彼の誕生日でもありました。ラッファエロは熱病で没するのでした。ちょうど37歳。この年は巨匠レオナルドダヴィンチが没した翌年で、これにてルネッサンスが終わり、バロックの時代がやってくるのでした。

イタリアの典型的料理リゾットの場合は

イタリア語は教えるので皆バイリンガルということになるメディチ家これらの芸術家をサポートしたのが、そうメディチ家。1434年から1737年までフィレンツェはメディチ家の支配下にありました。コジモは金融業で財をなし、実質的にフィレンツェを支配、多くの文人芸術家を援助してルネッサンスの花を咲かせることに大いに貢献した一族です。その後を継いだのがミケランジェロを見いだした、孫のロレンツォで、しっかりとした統治と文芸保護を受け継ぎ、メディチ家の第次黄金時代を築くのでした。ロレンツォが1492年に若くしてなくなり、その長男ピエロは凡庸であり、コジモ、ロレンツォと二代にわたる慎重に進めてきた平和政策を受け継ぐことができなかったのでした。