ローマ料理ローマの地元食

かつて有していた重要性をすべて失ってしまった

フィレンツェの町中にあり

ファッション系の店であれば、例えば色のコーディネイトを頼むと、小さな店であっても相手はプロ。日本人では思いもよらぬようなコンビネーションを提案してくる事があります。お値段が納得できるなら、思い切ってそのアイディアに乗ってみましょう。きっと日本でそれを身に付けたら、ちょっと目を引く存在になるかも知れませんよ。そうそう、ここでもクレジット·カードの支払では暗証番号の入力を求められます。

イタリア人は我々から見ると神経質と思う位に色々なことを心配する

なくなりますのでご注意を。レストランの時と同様、うっかり入力を何度か間違えると以後カードが使えなお、イタリアでの買物には通常22%のVAT(付加価値税)が含まれており(2013年10月1日より21%から1%増税)、一定額の買物(およそ150ユーロですが頻繁に見直しがあるので、お店で確認してください)をすると輸出免税、いわゆるタックス·フリーの手続きで税金分を戻してもらうことができます。買物をした店で作成してもらった書類に.EU出国時税関で現物を見せてスタンプを押し、近くの窓口で現金で支払いを受けるか、クレジットカードの座に払い戻ししてもらえます。スーパーマーケットへ行ってみよう!ちいさなお店と並んでお勧めしたいのはスーパーマーケットです。スーパーなんて世界中どこも同じだと思ったら大間違い。

 

ローマ司教レオ1世が

ヨーロッパは暗黒の中世から近代へ移る過渡期でもあった別の面からカンパニリスモを知る方法としてお国自慢の典型、イタリアのどこの地域でも産するワインの事を聞いてみると面白い。イタリア人にどのワインがイタリアでは一番かと聞くときに一つだけ聞いてはいけない。必ず自分の故郷のワインが一番だと言うから何人かの人に5種類か6種類のワインを挙げさせてその中に共通して出てくるワインが皆が認める良いワインということになるのだそうだ。ワイン一つとってもこれだから、他は推して知るべしで、私はイタリア人のお喋りの大きな理由(そしてテーマ)の一つはこのカンパニリスモにあるのではないかと見ているミラノは平野の真只中にある都市なので、市内には殆ど坂道というものがないが、中部イタリアに行くと、丘陵地帯のあちこちに町や村が点在している。特にアペニン山脈を挟んだマルケ州やウンブリア州では山の上に古い町があるのをよく見かける。

ローマの闘技場跡観光地でもあるマルケ州のウルビーノやウンブリア州の州都であるペルージャ、聖フランチェスコで知られるアッシジなどはその典型。飛行機から眺めるとマルケなどは丘陵の尾根伝いに点々と町があり、これを結ぶ道路がまるで万里の長城のように続いている。マルケには仕事でよく訪れたが、地図で見ると隣町で大した距離のないところでもそれぞれの町が山の上にあり隣町に行くには曲がりくねった山道を一旦下り、川を渡って再び同じような山道を登って行くので結構時間がかかる。それぞれの町の住民は中世以来何百年も山の上で暮らし続けているので、直線距離わずか七、八キロしか離れていない隣町へ行っただけでも町の雰囲気ががらりと変わったり、方言が変わったりすることも珍しくない(もっとも私には方言の違いまで聞き取れなかったが)。常識的に考えれば山の上に住むより、川沿いに住んだ方が水の便にしても、農作業,交通にしても便利だと思うのだが、何故好き好んで不便な山の上に住み続けているのだろうか。

イタリア語で困らなくなったのはレストランでの注文

なみに撮影場所は、イゾラ·ベッラ(美しき島)を見下ろす「カポタオルミーナ」というホテルのレストランである。土血ちもし、シチリアで過ごす日が1日しかなく、何を見たらいいかと尋ねてくる人がいたとしたら、私は迷うことなく「タオルミーナ」と答えるだろう。それは片田舎の景色にすぎないのだが、そこには目と、魂と、想像力を魅了するためにこの地に創られたすべてのものがある。かつて、(タオルミーナとその劇場を造った)人々は、私たちとは異なる目と魂を持っていたのだ。彼らの血管には、今日ではすっかり失われてしまったように思われる何かが血と一緒に流れていたのだ。

現在では政府から自治権を認められており

ローマに滞在することができたそれは、美に対する愛情と畏敬の念なのだ。(モーパッサンによる一八八五年の記述、筆者訳)タオルミーナはしかし、なにも映画のおかげで急に観光名所になったわけではなく、古くから「知る人ぞ知る」場所だった。ここに掲げたモーパッサンをはじめ、ゲーテやデュマといった多くの文豪たちが、この地の景観を称えている。最初にこの街をつくり始めたのはギリシャ人である。たとえば、街の東部に位置するサンタ·カテリーナ·ダレッサンドリア教会の内部には、ギリシャ時代の遺構がむき出しのまま展示されており、当時の名残を今に伝えている。