先生で挙手して抗言する

中学生が多い。

体験してみ
聞くともなくふとそれに関
わが子の不登校で分かったことごくありがちな不登校人間って、外ではつい見栄を張りすぎて、自分を窮屈な状態に追い込みがちですねマスコミは不登校は年々増加する一方だと、大仰な言い方をしますが、ごくごくありがちな不登校は、そんなに大騒ぎしないで周りが自然に支え続け、その子の心がさりげなくほどければ元気に戻る。あまりにもあっけなさすぎるものが大半だと、私は痛感しています外でことさら格好をつけたがるのは、子どもだけでなく大人の誰もが経験のあることではありませんか。不登校はそれに疲れた結果です。
意地を張る、見てくれの悪いことはいや、恥をかきたくない。だから人に見られるところでは必要以上に気張って自分をいいように見てもらいたがる。それが耐えられなくなる。
大半の不登校はそんなことのつまずきからはじまります。周りが決して異常な病気だとみてやらないことがとても大切なのです。成長途上でのちょっとしたつまずきに過ぎません聞き手に徹してやるこれは不登校だと命名されるのは、三十日も続けて休んだ場合ですから、特にまだそうとは言われないうちに回復しておくと、大変な重荷を引きずらなくて、本人も楽です。
先生で挙手して抗言する

子どもはほとんどいません。

元気に過ごしていた子が、朝起きづらくなったり、起きるのは普通でも、食事が進まなかったり、体の不調を訴えるとか、胃腸の具合が悪いとか、熱があるとかの場合。小児科や内科の診察では特に異常がないと言われるのに、様子を見ていて、いまひとつはかばかしい生活のリズム感が欠けているといった場合。帰宅した時にも、元気に
ただいま!
といつもの明るい声がない。
こういう時、親はついどうしたのよ。この頃おかしいわよなんて気にしますね。
れでどうしたの。何かあったのなら、言ってと尋ねることになります。
うーん。友だちとうまくいかないんだ
そなどと打ち明けはじめたら、あせって意見やたしなめを口に出さず、でんと構えてそう。

 

母も多いことであろう。

うまくいかないなんて、うんざりだわねと気の重さへの共感を表現してやる気持ちのキャッチをしてくれたら、心がほどけて話がしやすいよ、とばかりに、は、知らず知らずのうちに心が動いてことばが紡ぎ出されてくるのですね。

だってねえ。ードと畑が、ぼくにもやれやれと勧めるんだけど……子どもちょっと言いしぶるようだと、
何を勧めるのと手を問うよりも、気持ちの重さに共感してやるのですね「何か、あなたの気のすすまないことを強制するように、くどく勧めるんだ……」
と声を添えると、共感してくれたのが支えになって「うん。ほんとにそんなことやりたくないのに..て、嫌がることを言ったり、変なことや嫌がらせしたり。女連中がキャーキャー騒ぐのがおもしろいから、やれやれって言うんだ。ちっともおもしろくないよ」
...。
母乳で赤ちゃんの体はメキメキ大きくなって行く。

育てているのである。
音川さんの髪の毛がおもしろいからっ先に回ろうとしないで、受けとめてやることだけを心がけて、いい聞き手になってやると、うっとうしいことがしゃべれて、しゃべれると事態が客観視できて、
明日もあんなこ
とが続くのなら、しっかり友だちに自分なりの意見も言ってやらねばなんて腹がまえもできるというもの。明日はどうするかなんて、明日のことさ、と心の整理ができれば、母さん、聞いてくれてありがとうと今日の一応の気持ちの決着もそれなりにつくというものです。いい聞き方をしてやるのですね翌日は、それなりに学級の空気に対応する自分の構えで学校へ行き、思いもかけず、やめろよ。おもしろくないからなんて、自分もおどろくほど積極的な行動が示せたりして自分の心にはずみがつくといった形になりやすいのです。

 

母さんと三人でトランプをします。

すると、子の心がゆるんで動きだし、うっとうしいというよりも、ん、先生、分かってないんじゃないかなぁ
へえ先生、ちっとも分かっていないんだ。それとも気がついてんのかぁなんのことなのと聞くんじゃなくて気分を共有してやるのがうまい聴き手。

深井がしくんでることなのに!
何かクラスのもつれが、大きなやっかい事になってる、なりに整理しはじめているのですね。
なんて、そういう話題を、自分自分のことやクラスのことや、あるいは先生のことなど、気になることへの自分なりの対し方を、ひとりで生み出していく支えになってやる。そうすると、子はその行動自体が積極化するのです。
·不登校も人生経験の貴重な一部私の相談室に、中学二年の秋から学校を休みはじめた男子生徒の母親が、三学期に入ってから相談に来ました。はじめは親だけの来所でしたが、やがて子も来るようになり、いつしか子だけが私の所へ足を運ぶようになりました。

体験していたからであろう。


考えを手伝ってやろうとせず、聞き手は、心を支えてやろうと努めることですね。
·心の様子は見れば分かるよもしも、うっとうしい様子の子が、どうしたの?
何があったの?

と聞かれるのを、「いいよ。
さらにうっとうしく思い何にもないよ。
母さんには関係ないんだから」
と、やたらうとましがるようなら、まさに考えを手伝ってやるのでなく、とに徹してやるのです。つまりどうしたの?言ってくれないと分からない
心を支えること、問いつめる代わりに「ああ、うっとうしいことがあるみたい。
しい時ってね言ってくれなくとも見れば分かるわよ。
うっとう誰でも、うっとうしいもの。
お茶あるよ、はい、どうぞ」
とでも言ってやる。心の様子は見れば分かると、これが心を支えてやっていることなのですよ。あとのお茶があるよ、はい、どうぞは、その言い方によって、母親自身がなにもおたおたしていない、平生の安定は変わらずという情緒の落ちつきを示しているのですことばが紡ぎ出されてねえ。
子どもの依存性とは負の相関を示していた。