山のような買物をして帰る

トレント·トリステ広場にぶつかった

イタリア人にとって身近にない文化だから劫って興味を持って読まれるのかもしれないが、未だに謎である。さて、もっと身近に日本を感じる例では、野菜·果物の名前で日本語がそのままイタリア語となっているものが結構ある。柿·大根·梨(いわゆる洋梨ではなく日本風の丸い梨)·モヤシはそのままで通じる。特に柿は完全にイタリア語化し、男性名詞となって1個(つまり単数)ではカコ、複数ではカキとなるのでイタリア人の間でも日本語が元になっているとは余り知られていないようだ。以前、列車の中で柿を知らないイギリス人に柿の事を一生懸命英語で説明しようとしているイタリア人がいたが、柿が東洋から来たと言うことは知っていても、語源までは知らなかった。

よく考えてみれば時報が11分ずれたくらいで日常生活に何か差し障りがあるだろうか


バンテオンから歩いてすぐのところにある

>ヨーロッパなら当然予想される腰掛式のいわゆる洋式便器ではなくイタリア国内はそれにしても日本語でやるTVコマーシャルまで登場したのには笑ってしまった。イタリア人の俳優が最初日本語で子どもたちにしゃべるとイタリア語の字幕が出、子どもたちがイタリア語でしゃべるとご丁寧に日本語の字幕が出るという趣向。これを大手の民放でやるのだから何とも摩訶不思議であるまた、イタリア語は日本語同様、子音,母音の組み合わせが基本なので英語などと比べれば日本人には発音し易いのだが、日本と似た地名や名字がたくさんあるのも面白い。ベローナの北五十キロ程のところにはモリ(Mori)という名前の町があり、同名の駅もある。この近くにはサノ(Sano)だとかナゴ(Nago)という村もあって、初めて車で行った時には随分と面食らった。


ミラノ中央駅列車の場合

邦楽をオルトーナに紹介し

ミラノから国境の検問が廃止されたりこれは我が家が特別に警戒厳重と言う訳ではなく、ミラノではごく普通の現象である。訪問客が敷地に入るには入口にあるインターフォンで目的の家を呼び出して、インターロックを解除してもらわなければならない。従って、通りがかりの人が勝手に自宅の玄関まで入り込むことは出来ない訳で、訪問販売やら、宗教団体の勧誘が次から次にやって来て悩まされることがないのは利点と言えるかも知れない。以前住んでいたロンドンでは塀もない一軒家が普通だったが、その分安全面では問題が多く、我が家も一度空き巣に入られて金目のものだけごっそりと狙いうちされたことがあり、その後暫くは外出する度に電気やテレビを付けっぱなしにしたりしたものだ。イタリアというと日本ではどうも泥棒のイメージがあって、事実空き巣に入られるケースも時たまあるらしいが、身近に見ている限りでは自宅に押し入られるケースはロンドンに比べるとミラノの方が遥かに少ないように思える。ローマ軍の圧勝に終わり毎日重たい鍵を持ち歩き、ポケットが破れそうになる代償に安全を買っているようなものかも知れない。鍵が多いのは自宅だけではなく、事務所に入る時も同じで、殆ど全ての事務所では、住宅と同様にインターフォンで訪問者を確認した後、ドアを解錠するシステム。勤務している人間は鍵を自分で開けて入る訳だが、これも敷地の入口の鍵、建物の鍵、事務所の入口の鍵と複数持たなくてはならない。欧州諸国の治安は比較的良いと言えるが、このようなシステムは別にイタリア特有の現象ではなく、他の欧州諸国でも同様。これに比べると、日本の事務所のシステムは丸裸同然だから、海外で同じような感覚で事務所の管理をすると、色々なトラブルを引き起こすことは必至であろう。


このイギリスとスコットランドとの国境がこのハドリアーヌス帝の長城となるのでした

やがてローマ帝国がイタリア半島を統一すると、地中海貿易の担い手はフェニキア人からロ丨マ人へと代わり、フェニキア人は歴史上の舞台から姿を消してしまう。先ほど見たあの巨大な円形大闘技場の遺跡こそ、フェニキア人に代わってテラモを発展させたローマ人が築きあげた帝国のシンボルだった。他にも、地元貴族の邸宅の床の修復工事をしているときに発見された質の高いモザイク画「ライオン」や、考古学博物館に飾られている古代ローマ時代の彫刻「首のないアフロディーテ」が発掘され、博物館に保存されている。テラモは、古代ローマ帝国の遺跡と現代が上手に共存している町なのだ。だが、巨大だったさしものローマ帝国の繁栄も、そう長くはつづかなかった。

イタリアの中世の歴史を物語る要塞がある

コロッセオなのです運命の四10年がきたからである。ローマ帝国を滅亡に追い込むことに成功したのは西ゴート族であった。もちろんこのテラモも陥落した。そして時代は流れ、今度は航海民族ノルマン人によって町が再建されることになる。彼らは新天地を求めてイタリアへ移住してきたのである。