母としての喜びと誇りを取り戻してください。

教育の方法を開発しなければなりません。

痩せたらすてきなスタイルになって、みんなとうまくやっていけるようになるって期待しても、なかなかそううまく痩せてくれないから、あせって不自然に食べないで、痩せてくれ痩せてくれって、自分の体にお願いするのね。あきらめようかと思う頃に、やがて痩せはじめるのよ。
わッ、痩せはじめたと思って、調子にのっていよいよ食べないようにすると、しばらくして、痩せ方が進まないことがあり、それからあとはどんどん痩せていく。
子どもはみんな鼻から二本棒垂らしていた。

学校ってどうして行かなきゃならないわけ?
学校ってどうして行かなきゃならないわけ?
子供がわかってくれることはないと思います。
子供がわかってくれることはないと思います。


父親の権威を高めるためには年寄りの協力も必要だ。

子どもは人生とはそういうものだ

わっ、すてき、すてきと調子づく時には、むしろ食べたくなくなっているのね。いくら食べなくても食べたくならないので、ダイエット大成功とうれしいのに、気持ちがわっとぬくもらない。
その頃には、もうすでに体内脂肪をすっかり日々のエネルギーのために燃やしてしまっていて、次には体の組織そのものを燃焼しなければ、他にエネルギー源がないという状況で、体の不調がいろんな形で出ちやうのね。
食べたくないというより、食べられなくなっているから栄養の補給が絶える。
本当に痩せ細りすぎて三十八キログラムなんてことになると、体がすっかり細くなって風にもゆらゆらゆらぐ不安定さ、何の意欲もわいてこない。
体に不自然さを強請したら、そういうふうに体の自律感覚がこわれてしまうのよふつう、眠りたいから眠る。食べたいから食べる。必要な排泄作用も体が勝手に要求してくれて、それに応じておればいい。
健康な時は、自律神経が内臓全体の自然なバランスを自然に保ってくれるのです。
その機能をホメオステーシスというそうよ。

子どもの取り組み方が変わってくることがあります。

母さんが家族のためにどんな仕事をして不自然なダイエットで、ホメオステーシスがとまどって機能不全になることがこわ淡々と平生から話してやる必要がありま大事な健康管理の要点として、すね、特に年頃の子どもにはこういう話は、

しくじりなんておそれるに足りないこと

·あきらめ型の思考パターンさほど大ごとでもないのに、一度しくじったらもう取り返しがつかないとあきらめる癖が、最近の若い人の間に当たり前になっている風潮がみられます。
癖になるということは、もうすでに何百回何千回と、そう思う思い方に慣れてきたということで、つまり思考のパターンがあっけないあきらめ型になっているのですね私の経験上、つくづくと実感するのは、そういうあきらめ型に、陥らすまいと親が気づかう時に、つい否定型の戒めを口にしがちということ。
中学校の入試について両親には各々たとえばこんなふうに。
「そんな失敗をいい加減に重ねていたら、誰からも信用されなくなるよ」
「どうしてまたそういう不注意!何度言っても直らないわね。自分が直そうとしないからなのよ」
本気で反省したことがないんだ。もうダメだな
これは当人を発憤させようとしていることなのでしょうが、これであおられて行ういっときの発憤は、から回りの頭に熱がこもる型になりがちで、よけいに似たしくじりを繰り返しやすいのです。

母さんはわが子の行動に一瞬言葉を失いました。

それで結局、言えば言うほどやる気をなくし、よりひどいあきらめ型になりがちです。
それで、今どきの親はもうなにも言ってやらない傾向がとても強いのですね。
放置放任、成り行きまかせで、心がすさみ放題ということになりがちなのですよ。
やらねばなりません。言うべきことばをしっかり吟味して。
つまり言ってこういう時にこそ、プラス思考型が自然な効果を発揮しますから、書くことをヒントにしてください。
元気を出して、次に自発を引き出すプラス思考型放っておいても自然といい向きになる、間違いなしに……という向きに言い慣れておくのです。実際には放っておくのではなく、しっかり見守るのです。そうすれば、こんなおだやかなことばが自然に出るのですね。
「しくじったんだな。残念だろう。やった当人の無念さは当人だけにしか分からない無念さだ。心に残念の思いが残るから、失敗を繰り返したくない気持ちがひとりでに強くなるんだよ。しくじりの残念さがあってこそ、人はしくじりを超えていこうと努めるんだよ。大丈夫だよ」
大丈夫だと保証してやる。確信を持って。

ほんと?ボク、大丈夫かな?
子どもの稽古事


母親と面接をしてみます

学校で決められたことは守らなければと思う。こんなしくじりばっかり重ねないようになれるかなぁなれるさ、大丈夫
大丈夫?
大丈夫!
どうして、ボクが大丈夫って、分かるの?

だって、今、君が本気だもの
ボクが本気?どうしてそれが分かるの声が本気だもの。目が本気だよ。分かるよ、それくらい
こういうふうにしっかり確信を重ねてやってるうちに、さがしっかり満ちていくものなんです。
本当に実際に、当人の心に本気
本気にならなければいけないという教えを強調するのではなくて、今のやりとりの全体が、すでに本気になっているじゃないかと確認してやるのが大切なのですね。
くどく言い重ねますが、本気になることが大事と本気で教えてやることではなく今、お互いが本気であることを認めあうこと充実した心の実感を実際に味わうことが大事なのです。