父親の意見が重要になってくるこのよう

子どもが親

母さんの知らないとき
よくないと評判の子らとばかりたむろしているみたい。友だちが悪いのだ。なんとかしなきゃあもしそう考えているお母さんがいたら、ちょっと待って、と声をかけたいですね。これまでにあなたの意見がいつでも子に通じていますか。下手なあせりで逆効果を招きかねないですよ。どんな友だちだって、子にすれば切実な要素で何かがつながっているのです。
「友だちといる時のあなたの夢中なこと。ほんと、友だちがいてこそなのねえ。
子どもがあり自発性は抑圧を受けているのです。

父親を頭からバカにして

うん、感心する。ケータイにとりつくあなたの熱心さ。懸命なんだもの。なにごとかに集中できるのは、集中できる能力を持っていることの明らかなしるし!それは思う」
こうでも言い放ってまずどんと大胆に思いがけぬプラス点を、与えてやってごらんなさすると意外と素直に「そんなにいいものでもないんだぜ。ケータイ、たいして大事なこと話してるワケでもないんだものな」
そう?でも、話しても話しても話し足りないみたい
誰かと話してないと、落ち着かないんだ
落ち着かない時って、本当に落ち着かないね
その時の気持ちに何気なく添ってやるだけで、子ども自身が素直な共感点で、しゃんととどまるのです。

 

教育に冷淡であったわけではない。

親が意見の先走りをしない。そのあとさらりと友だちの評判も言っておいてやるそれがなかなかできないんですね。つい、
ケータイ、そんなにたいした話してるわけでもないんだと、せっかく子どもの心が開こうとしているのに、そこへ迫っていって、
それじゃあ、どうしていっまでも話しているわけ?とつい問いつめる格好になる。そうすると、たちまち母さん関係ないでしょ。ほうっといてよと、そっぽを向かれてしまうだけなんですね·子どもの自我の判断を待つ子どもに迎合して、なにも、ヘラヘラ言ってやれと言ってるのではないのです。
子どもでも大人でも、人間誰しも自分の心根にふと暖かい気持ちで添ってくれる人には心が向く。その人に対して自然と心が開くというものです。逆に嫌味のひとつも言わねば気がすまないとばかりに待ち構えている人に対しては、
子どもの立てた目標に不満があって

大学などとの間で授業を交換し合ってるんです。
「じゃご期待に添って、こちらからも嫌味たらたらの反発合戦とでもいきますかね」という態度に知らず知らずになっていきかねないのですよ何かが足りない。こんなんじゃない。自分の心の中から出てくる満ち足りない思い。これはいったい何なのか。それにただ従ってしまうばかりなら、別の自分がそうじゃないぜおかしいぜと叫んでいる!心の中に相反する二つの自分がいるのです。
-エゴイズム·イドも自分だし超自我-スーパーエゴも自分だし、自分の中で二つの自分が争っているといったらいいか。だからこうしたらいいなぜそうしないの?といった親の干渉はこの際必要なくて、子ども自身がああすべきか、こうすべきかと迷い、結局、とりあえずは今はこうしようとその時々に判断する。その判断、つまり
自我-エゴがそれなりに機能を発揮するのを待ってやる。

 

子どもたちも友達からその話を聞いて

こういうのはどうですか「和行、あんたはこの頃新しい友だちができて、なんだか意気込みが違ってる!友だちこそ力の出どころなんだなあ、とつくづく分かる」
これはしっかり肯定的な評価だから、親のことばに子もつい心をとめてしまうでしょう。
いつも非難やけなし系のことしか言われず、チェッ、うるさいなと舌打ちして親の言うことなど平気で無視している子どもは、どうせ「この頃、悪い友だちとばかりつきあって、どうなってるのよ、いったい」とうっとうしく非難されるものと考えているでしょうから友だちが今、あなたの力の出どころねなんて心に添うたことばをかけてもらうと、子どもは、思わず声を高めて
あじゃー、母さん。

母さんはもう少し踏み込んで教えることにしました。


いの一応の決着を待ってやるのですね心の中の二つの自分の争悪い友だちとつきあってると思っても今までつきあってきたことのない友だちとつきあっているわが子に、その子らが風評になることを起こしがちの子らしいと気になっても、つきあうのをやめさせようとあせってせっかちに口を出さないことです。親がこれまであまりにも非難がましい態度だったためそれに反発して、先行きを慎重に考えるより今おもしろければそれでよし、になっているのですからここはどうでもひとつ深呼吸して、子どもの心の向きに添う、暖かなことばからはじめてはどうでしょうか。
母乳で赤ちゃんの体はメキメキ大きくなって行く。