子供を持つ

子どもは何人ほしい

大学生にアンケートをしてみて
陽太はどちらの面にある時も、自信があふれてしっかりその二つの面になりきってたと思うでもおなかの中は、辛くて、辛くて、張り裂けそうだったと思うのもし、淡々とこういうことを母親が陽太に言って心の目をさました自分になってやれるなら、陽太はしーんと黙ってしまい、心も体も動かない静まりを続け、やがて大粒の涙を流して、天地をふるわせる慟哭をはじめたりするでしょう。陽太君と一緒に、陽太君の母どうこく
親も大粒の涙を落とすでしょう。いや、親としての辛さに身もだえするでしょう。
いじめって、人の心の弱さの象徴なのですよ。いじめ問題について万人が芯まで理解できる解説は、まだ世に出ていません。

「陽太、あんた、すごく陰険なイジメの番長だって?ほんとう?今まで私にだけは正直に何もかも言ってくれてたじゃないの。正直に言ってよ。まさかそんなこと、あるはずがないと思うけど。もしそんなことが本当なのだったら、私、パパにどう言おう?パパ、落胆すると思うわ」
オレ、イジメたりするもんか
「ほんと?そうよねぇ。そんなことしてたら、あんたのこと腹立てるより、おまえは何をしてたって、ママがパパに怒鳴られて、大変なことになる!ねえ、言って。本当はどうなの」

ハ、ハ、ハ·してないって。気にしない、気にしない。いったい誰がそんな根も葉もなぃことを言いふらしてんだろうと、あっけらかんとした言い方で、陽太自身が腹を立て、ママ、他人の言うことのほうが、わが子の言うことより正しいと信じるのかい?
「そうねえ。そうよね。

子供が大きくなればなるほど

パパの仕事は敵が多いっていうし、私のことをやっかんでる人も近所にはいるし、どうしても少し目立った働きがあると、すぐこれだから」で息をつぎ、「卑怯極まりないったらありゃしない。陽太、気をつけなさい。うまく行ってる人を、うらやんでひがんでおとしめようと思っている人って、世間には多いんだから」と嘆けばはーい、ママと賢ぶっていい返事。他人事だと、読んでいても変だと思いますね多少ともこういう裏表のはっきりした傾向が、わが子にもありそうだと気づいた親にしっかり伝えたいのは、それじゃあ、どうしてわが子の二面性をほどいてやるべきかということです。

子どもから情報を聞き出そう


経験したことがなかった。子供が思うはずもありません。よくよく人の話を聞いて、子が徹底的にウソを言い張っていると認めざるを得ないのなら、責めてはいけない。正直に言ってくれと懇願するのも、こだわらせるだけですね。親が率直、正直これしかないと思いますしっかり固まった土くれは、よほど水をかけても、はじめはうわべを流れるだけ。じっくりじんわり何回も何回も水をかける。またしてもかける、というように、こんなふうに対応する。

陽太、私、大変なことに気がつきはじめてる。あなたに随分ひどい負担をかけていたいったい、なんのことを言ってるの?分からないよ、ママ

そりゃ、とまどうよ。私が目の前で見てきた陽太も正真正銘、本当の陽太。番長もどきの徹底的ひどさで弱い者いじめをしていた陽太も、正真正銘の、本当の陽太どちらが本当の陽太なの。さあ言って、という言い方と正反対の表現です。両方あわせて、全部が陽太のすべて。私は陽太がいとしい。私は気づかずに、両極端を使い分けさせてしまった。

中学生という難しい年頃の不安定な時にこそです。

陽太はどちらの面にある時も、自信があふれてしっかりその二つの面になりきってたと思うでもおなかの中は、辛くて、辛くて、張り裂けそうだったと思うのもし、淡々とこういうことを母親が陽太に言って心の目をさました自分になってやれるなら、陽太はしーんと黙ってしまい、心も体も動かない静まりを続け、やがて大粒の涙を流して、天地をふるわせる慟哭をはじめたりするでしょう。陽太君と一緒に、陽太君の母どうこく
親も大粒の涙を落とすでしょう。いや、親としての辛さに身もだえするでしょう。
いじめって、人の心の弱さの象徴なのですよ。いじめ問題について万人が芯まで理解できる解説は、まだ世に出ていません。

母さんが買ってくるから萌と咲と三人で食べよう。


先生という職業自体がたくさん
私が先年出したいじめをほぐす朱鷺書房は黒柳徹子さん、山田太一さん、もうすでに鬼籍の人となられた小児の百科の松田道雄先生、その他幾人かの人に、巻表紙にこれはいじめの問題のわかる本だと賛を書いてもらったのに、私自身の力がなくて、多くの方の目には届かなかったみたいです。私の力不足がどこにあるかが、私にはまだ見えてこない。それが無念ながら現実というものですね
先生との相性が悪い場合の工夫それぞれ、人生って、習慣や取り決めがある基本的に行きあたりばったりですね。
運、不運がありますものね、正直言ってなるようにしかならないというのも一面の真理だし、運命は自分が拓くものというのも、小学、中学、高校の担任って、お見合いシステムで相手を選ぶように、あなたにふさわしい先生を選べたらいいのにね。

子どもたちと話をしたり遊んだりしている

でも、現実には、そういうことにはなっていないですね我慢しなくちゃならなかったり、また逆に大当たり!と喜べることもあったりねと何かのついでに率直に語りあっておく。そんな機会が、家族団らんの際には必要なのだと思います世間一般には、時、所、場所に応じた習慣や取り決めがあって当然ということを、小さいうちからもっともっとわきまえさせておかなければならないと、いろんな子どもの様子を見ていて思うのです。
人間が複数で存在して一緒に生きている限り、どの集団や組織や暮らしにも、必ずみんな納得し承知しているルールや決まりがあるのです。みんなそれに従うことが当然なんですねあなたの所属は00先生担任の年△組と決められるのまず普通の小中学校などでは、が普通でしょう。


子供が思うはずもありません。 父親として私はどうするかということでした。 両親の部屋でいっしょに寝ることが望ましいのです

教育で得た収穫である。

子どもが求められてくることは間違いありません。

こんなふうに言ってくださると、私自身、ひとに支えられている自分を感じます。
こそこっちがありがとうございますなのですね。
それ

PTSDやトラウマはどう癒されるのか

あの大震災のあと使われ出したことば神戸の大震災以後、心的外傷後ストレス障害ということばやトラウマといPTSDよく耳にするようになりましたう心理学用語が一般化され、神戸に生まれて神戸に育った私は、長田区でも山側の被害の少ない地域でしたが、あの朝の激震で
ああ、死ぬってこんなにあっけない成り行きなのかと感じるすごさを体験しました。自宅は瓦屋根を葺き替える程度ですみました。縁者の安否を確かめるためにまだあの大火災が起こる前の壊滅直後の街中を、どうにか車の走れる道路を選び選び走りました。現実感のわきようのない、まるで昔の地獄絵の絵巻物の中へ自分が夢遊状態で放り込まれているとしか思えませんでした。阿鼻叫喚の筆舌に尽くし難い有様に、ただただ意識は茫然としたまま、いったい自分があれからの数カ月、どういう日々を過ごしたかを正確にはとても覚えてはいません。
子どもに対する評価

子どもの可能性は大きく広がることでしょう。

あびきょうかんぼうぜん強烈な恐怖体験後、おびえの記憶が残って心の緊張が続き、日々の生活に支障をきたすというさまを、心的外傷後ストレス障害PTSDと言い、神戸の子どものPTSDについては、震災後、何年も残る大きな課題として取り沙汰されているわけです。
悪夢的な悲惨な体験を持った方が、それ以後何をするにつけても、その記憶の痕跡に拘泥させられ、正常な精神状態にはおれないことを、トラウマが残っているといい、このトラウマということばも、あの震災後、よく使われるようになりました·一生涯残り続けるのかPTSDやトラウマは、そのひとの心に一生涯重圧であり続けるしかないのでしょうか。

 

学校でも同じなのですが最近ない

もっと一般的な現象として、心が不自然な圧迫をうけて、のびのび、生き生きとすることがおさえられる状態を、ストレスを受けるといいますが、いろんなストレスを味わうということは、それだけで単にマイナスの要因でしかないのでしょうか。
大激震の日の夜が来て、被害地に追いうちをかける大火災の猛煙が赤々と広がっているのを、高台に位置する自宅から一望にした私は、引き続きやってくる余震のおびえに心の芯まで冷え固まって震えながら、しきりと、あの悪夢の再来なのだ、と繰り返し口の中でつぶやいていたのですそれより何十倍何千倍も真赤に焼けただれたちょうど半世紀前の神戸の夜空を思い出していたのです。
それは子どもの頃の、太平洋戦争末期の大空襲被災の夜の記憶でした。
かいじんこのたびの震災の比ではなく、一夜明ければ見渡す限り灰燼に帰していた日。
があざやかに心によみがえってくるのでした。
あの光景決定的な痛みの数々しょういだん敵機B29の幾編成もが、無数の焼夷弾を次々と落としていく。恐怖の体験であるのに夜目に、来襲する飛行機から放出された一つの光の矢が落下の途中で炸裂して数十の光の放列に変わるのは、光の饗宴と見ほれる美しさでした。
経験が今はじまったば
父親としてはいたず

学校に行くことが辛いように言うというのです。

圧倒的なこわさをつい忘れてきれいと思う瞬後に、ヒューと音を立てて、その一発が逃げ惑う私たちの至近の草むらにドスンパチパチと落ちて猛火を発しました。
さくれつきょうえん今だから、こんな客観的な書き方ができますが、当時の私は子ども心に、なぜ戦争というものがあるのか。この敵機襲来はアメリカ軍上陸へと引き続いていくのか。どんどん
殺されて、もう逃げ惑う余地もなくなるのだろうか
とおびえる毎日でした。こわくてこわくてたまらなく、これはもう生半可なPTSDやトラウマの話どころではなかったわけですその恐怖たるや、ストレスなんてものではありませんでした戦争が終わってからの、飢えの体験もまた、ことばで語れるものではありませんでした。食べるものがない、腹がへってもどうしようもない。母が、一切の食料が底をついているのに、さあ、お好み焼ができたよと私たちを狂喜させた日があります。

大学院に進むのは大いに結構だ。

みんなむさぼるように食いついて、一口ほおばったまま胃も心も意気消沈みじめの限りもそのはず、困りぬいた母のせめての工夫で、そのお好み焼たるや、生地は米ぬかで、刻んだ大根の葉だけが入った、油抜き、しょう油抜きの、得体の知れぬ代物だったのですからそれ究極の飢えに、このままだと、長くは生きられないのではないか
きの並のストレスとはどだい、質が違っていたと思います。
という恐怖は、今どストレスとどうつきあえるかストレスはストレスを超えることで、人間をよりしっかりしたものにしてくれるまたとない試練だと思っています。
PTSDやトラウマを軽視してはいけません。その状況下にあって、逃げも隠れもしないで、こっぴどい体験を、しっかりしっかり体験すること。体験したという記憶から早く逃れようとあせってはならないと思います。

もう二度とは消えうせない記憶と思う。だのにここはだけどはないのですねあと愉しいことや気持ちの安定の日々を重ねていると、いつか、その痕跡は消えていくのです。
大丈夫ですよ
積み重ねあるのみ、です。
私は戦後も、空襲警報のサイレンが街中に響くのがおびえの種でした。
母さんの意地悪!

子どもはどうしてもけがをします。


戦争中、街中の大会社や工場の始業開始や終わりを告げるサイレンが、長くどこまでも尾を引く時と違って、空襲警報の時は、短いのが十回続いて鳴りました。空襲警報で街中のサイレンが、ウウS、とうなりはじめる時、私はびくりとして息がつまることが癖になっておりました。
戦後もサイレンへのおびえがいささかも消えませんでした。死ぬまでこのおびえが続くかとさえ思ったものです、諦めに近い気持ちで。いつからそのおびえが消えたのでしょう明るい元気な日々の展開で、いつしかあのおびえは遠のいて、過去の記憶として、アルバムの単なる1枚の写真、それもセピア色の写真の印象になってしまいました。
心のさあ、現実に戻って。
なにかとストレスだらけの一日。
ストレスが起こるのがやむを得ない、共働きときれいごとを言うのはよ日頃、ストレスがあるような生活はダメだと、育児と主婦業の忙しさ。

経験が今はじまったば

勉強するとかテレビを見ながら何をするとい

子供の方からは非常
まわりの父親の友人たちが、ほう!っといっせいに声を上げ、と、はじめから自信がつきますよね。やる気にもなります。
拍手する。
これだ毎日の気持ちの積み上げがプラスの方向か、マイナスの方向かの違いが、大きな向きを決めるのです。最初の印象的な評価が、子どもののびのびさにつながったり、逆にこわばりをさそったりするのです。
クラス会は会食のあとカラオケ大会でした。
いい歳になってから、初めて挑戦したカラオケ。
おずおずと声を出したら、意外にまわりの聞き手が拍手してうまいじゃん、声いいね
と感心してくれた。

口々にへえ、信じられない!
会場中に響きます。
中学の三十五年ぶりのクラス会です。
清滝和子さんといえば、中学の頃からスポーツ万能で、男まさりで、クラスの中で、いわゆるしきり屋さん
と誰からも認められていました。
クラスの中だけでなく、一学年が+クラスというマンモス中学で、県で優勝したバレボールのアタッカーの清滝といえば、学校中知らない者はいませんでしたその清滝さんのことばにしては、本当に意外だったのです。
親の血を引くとはよく言われますが、親がスポーツ感覚に優れた才能を有していれば自然と子どもも似て、その筋に進んでゆくという例が多いのは確かです。
ところが、そうでないことも結構あるのです。

母乳語らしいものをやらない

意外にも、親が反面教師に大ざっぱに二分すれば、親に似た傾向の能力や趣味を持つ子どもと、まったく対照的に親と反対の方向に育っていく子がいますね。
この対照的な違いは何から生じるのでしょうか。いろいろな場合があるでしょうが、基本はそれこそ私がこの本にしばしば触れるマイナス思考とプラス思考の違いだと思うのです。生まれつきの違いだとは思えないのです本当に物心もつかないうちからですよ。まだまだ年端もいかないのに何となく親が自分に対して、やっぱり私の子なのねなどと納得した安心のことばや態度で接してくれると心がほどけて温まり、親の関心の方向に、知らず知らず自分の意欲が向いていくのは自然ですね。
それと反対に、自分が自然にやった一動作をびっくりしてあきれたように眺められて「どうしてそんなふうでしかないの?情けないね。いいからもう一度やってごらん」と、軽視や落胆の態度で注視される。すると、心が固くこわばってしまい、手先がどうにもぎこちなく動くしかない。

子供に接したほう


子どもに多く見られるのが実母さんの意地悪!そういう悪循環が毎日続くとなると、親がこちらに目を向けた途端に、心も体もこわばるばかりになりがちなものです。
ね。こういうマイナス思考の積み重ねで、親の得手なことが極端に、自分は苦手になるという、つまり親が何かにつけてとんでもない反面教師になってしまうことってあるのですよ·のびのびと、文句なしに「ねえ、みんな。やっぱりわが子なんだよな。
そこで思いっきり振るんだぞ」
光一のバットの振り方、見てやって。
光一、このクラス会は、清滝さんの思いつきらしく、母校の教室で日曜の昼下がりからはじまった集まりでした。おしゃべりやなつかしの運動場で時間を過ごす計画だったのです。
平本茂平さんは、初孫の光一君を連れてきていたのです。二歳とちょっと。かわいくておばさんたちに遊んでもらって、元気のよい声をあげ、そこら中を走りまわっていました。
野球帽をかぶり、オモチャのバットを片時も離したことがありません。
オーレと平本さんがボールを投げてやると、可愛い孫がビューンと思いきりオモチャのバットを振ります。

高校まで義務

まわりの父親の友人たちが、ほう!っといっせいに声を上げ、と、はじめから自信がつきますよね。やる気にもなります。
拍手する。
これだ毎日の気持ちの積み上げがプラスの方向か、マイナスの方向かの違いが、大きな向きを決めるのです。最初の印象的な評価が、子どもののびのびさにつながったり、逆にこわばりをさそったりするのです。
クラス会は会食のあとカラオケ大会でした。
いい歳になってから、初めて挑戦したカラオケ。
おずおずと声を出したら、意外にまわりの聞き手が拍手してうまいじゃん、声いいね
と感心してくれた。

子育てについて考えてみました。


母がいなくなったためにえって
それがきっかけとなって、どんどん歌いこむようになり、何年かたっとカラオケは自分の得意のジャンルになっていた、という宇谷健太さんは、歌いっぱなしです学校での不本意な思い出その宇谷さんはこう話します小中学校の歌の時間が、死にたいと思うほど、私の恐怖のひとときでね。
辛かった。
みんなの前で歌わされる試験が、だめだなぁという顔を、どの学年の先生も一様にするんだもの。ひどい時は、「次は宇谷か。おまえは声を出すより、かけっこだよな。まあ、順番だから、歌うか」って。
歌うことにつけては、おまえは除外、という態度だった担任もいた。もっともその前の学期末には、「もっと声を出せ。運動場での健太とまるで違うじゃないか。なぜそんなにぐにゃぐにゃした姿勢なんだよ。背筋をしゃんと伸ばして」と、あきれ果てられ、何回もやり直しさせられて、すっかり声が出なくなったんだ。

先生を好きになると授業中にも飛び出して行って

先生もそれを思い出して、やれやれ、あの宇谷の番か、ということだったんだろうな、と今にして思うのです。
だって、私に歌わせよう、私の歌を聴いてみよう、なんて、私の親は思いつきもしなかったさ。だいたい、歌うなんてこと、男きょうだい三人の私の家ではまるで無縁だったもの。
カラオケなんて、げてたんだ私は嫌なものがはやりだしたな
と、はじめの二、三年は、逃お得意先の接待をすっぽかすわけにいかなくて、いやいやながら、渡哲也のなしの花を歌ったら、投げやりで歌ったその一曲に、拍手が湧いてね
くちハハハ、それからは病みつき。


母さんの意地悪! 太極拳教室だと子供が参加できる 子どもがその目標を見つけることができるよう

両親の部屋でいっしょに寝ることが望ましいのです

子どもが自分で話す話の中

しつけの基本は、まさにここにあるわけで、プラス点を重ねる体験をしつづけていくと、それがまさに、関西弁でいうしィつけられることになります。し慣れることが、
しィつけることでしょう。
それがつまりしつけですね。
親の願いと子の実践との向きが同じであれば、子も親もともに,うれしさがこみあげるということになるわけですね幸せ
本章の1節に書いた作り出すことです。
というものを期せずして実感するうれしさをしつけ
でむしろ、字に書いたような幸せの瞬間は稀であって、平生はいつもズレっぱなし、へだたりっぱなし、誤解のし合いだらけなのだからこそ、たまにうまく行った時の、こころゆく思いや充実感が、ありがたい幸せということなんですよついでにこのありがたいですが、有り難いとは、つまりそうあることが普通でなくて至って難しいこと、言い換えればめったにあることじゃないということなんですね。
子どもを社会的な存在ととらえ

子どものように見えるけれど

失敗こそがなつかしい思い出

公園デビューのつまずきが生かせた-自分からことばを出す近所の人たちとのおつきあいというものは、気にする人にとってはとても
気にな3問題です。自然なおつきあいができているだろうか、それとも気づかいやこだわりばかりでぎこちないものになってしまってないかしら……と。しかし、そんなことは、それほど気にすべきことではないのです。
そうはいっても、まだ子どもが幼く、慣れない所で子育てをしようとするお母さんにとっては、あ、こんにちはとあいさつするのは度胸のいることかもしれません。自然にあいさつが交わせる親しい人が何人かできる、ということが慣れの出発点となります。
実はそれって、なんでもないことなのに、むずかしいと思える時はほんとうにむずかしいですねそんな人、すぐにできるわ。絶対にできる!と確信をもって!誰に会っても自分からあいさつすること。

 

子どもの多くはお手伝いをしていません。

数打ちゃあたるぐらいに思って、慣れてしまうのです。最初は気まずさがあって、ぎこちなくても当たり前。でも、すべて慣れなのです。繰り返し、慣れてくると、自然にそれこそ慣れちゃうわけですね。
結婚して、住み慣れない土地で赤ちゃんが生まれ、数カ月すれば、いよいよいわゆる公園デビューですか。そうです、近所の人たちがよく利用している公園へ遊びに行くだけのことこの公園デビューなることば、いつ頃から使われるようになったのか、私など初めて耳にした時には、まるで昔のヨーロッパの社交界もどきの表現を今頃とってつけたように持ち出して、なんと大げさな!と苦笑してしまいました。でも言い得て妙、うまく言ったものです。
話は逸れてしまいましたが、そもそも公園デビューなんて、うまくいかなくて当たり前と確信していればいいのです。
子供が思うはずもありません。
子供に何かをさせるとき

子どもに決めさせていいのです。

習うより慣れよと昔から言うじゃないですか。出かける前からうまくいかなきゃダメなどと気負ってしまうと、かえって不自然になってしまいます。
話してみれば
皆さんの遊びの中に入れてもらおうと、初めて加奈子を連れてこの公園に来た時、こんにちはって私があいさつしたのに、誰も返事してくれなかったのよ。もう、恥ずかしくて、気まずくて、いたたまれなくて……を見たら、私の気持ちが伝わったのか、加奈子ももじもじ立ちつくしてるの。結局、その後すぐ公園を出ちゃったんだけど、でも、こんな失敗の体験って、あとに引くのよね!
それからって、子どもを連れて外に遊びに出ることがおっくうになっちゃって……...。
いようと思えばいられたんだけど、ふとわが子今はもう何でも気楽に話せる山野さんに、加奈子ちゃんのお母さんは自分の体験を話すのでしたね、余談ながら嘆きことばはけどでつないでいるでしょう。

子供はいつも丈夫

逆説の接続詞はマイナス指向ですね。
私は、あなたたち親子が、この公園にはじめて来た時のこと、覚えてるわ。あなたがみんなに心細そうな声であいさつしてるのに、誰も返事をしなかったことも。私自身も、みんなが黙ってるのに、自分だけ声をかける勇気もなくってまったって、ずっと後悔してたのよ
あなたに悪いことしてし
「大人が人見知りするのよ。私なんて初めてここへ来た時、誰とも話ができなくって、もじもじしてるばっかりで。そうしたら、お宅の健ちゃんが、スーツとブランコを空けてうちの悠介に替わってくれたの。悠介もスーツとブランコに乗って......。なんだか子どもたちのほうが大人の気づまりなムードを和らげてくれたのよ、ねぇ」
山野さんに続いて、宮下さんも寄ってきました。
山野さんや宮下さんと、こうして気持ちよく顔を見合わせて笑いあえる今の自分がなんだか誇らしく思え、うれしさがこみあげてくるのでした。
先生はほとんどが女性。

子供だってそんなことは百も承知です。


加奈子ちゃんのお母さんは、習うより慣れよ
こんなことも昔の人はよく言ったものですね。
·つまずきの共有体験が出発点に公園デビューが、うまくいかなかったのよ
と人に語るより「公園デビューで誰でもつまずくのよね。そのつまずいたことを話題にすると、みんな似た思いがあって、共通の体験を話しあえることにもなるんです。マイナス経験は全部生かして、プラス体験のきっかけにすることができると思うようになると、気持ちがすっかり落ち着いて、その後の二回の夫の転勤も、私はそんなにおじけないようになっていたわ」
ともかくたくさんしゃべるほうが、元気を出して、大丈夫。
習うよりも慣れちゃいましょう。
人を安心させることができるものです。

お年寄りがいる暮らしもいない暮らしも

大家族制度がこわれてみれば昔の大家族というのは、お年寄りが旧来のしきたりを守って、若い者、女、子どもに有無を言わせず、たとえ家中のみんなが不平不満だらけでも、表立っては何も言えない制度でした。