しつけのきびしさでもわかります。

子ども達のだれかがひどいことをし叱

母親はあきらめました。
「先生に訴えるより、まずわが子に先生との相性が悪いなんて、そんな残念なことは、他にはあまりないと思う。久美子の残念さが分かるわと、徹底的に気持ちを分かっておやりなさい」
そしてそれが功を奏したようなのです。
どんどん久美子ちゃんが、お母さんに学校の話をしてくれるようになり、その分、学校でも積極的にクラスの空気に溶けこむようになり、意外と、もともとのこじれを久美子ちゃん自身が母親にさりげなく話してくれるようにもなったというのです。
そして、個人懇談の時、先生がこう言ってくださったのです「久美子さんには、正直言って自己中心のわがままなところが少し目立っていたような気がしますが、この頃すっかり変わりましたね。何があったのでしょうか。

取り決められた担任とどうも合わないただ、なんでも決まり通りで納得できない現実があり、社会と個人とのかかわりは無限
自我の確立だからこそ、ということがなんのむずかしさをはらんでいます。
としても大切になるわけです。
個々人の社会のきまりのどこを優先して、個人の自由のどの面を大切にするか。これが人間同士で話しあい感じあわれねばならないのです。自我の確立しあった者同士であればあるほどお互いの事情を分かりあい、社会と個人のかかわりについての工夫が柔軟に作り出していけるということになります。
なんといっても、教員の側の人格的な対応の努力が必要なのでしょうね「うちの子が、クラス担任のあなたがどうも自分にあわないといって、登校をしぶっているのです」と、ごく素朴率直な訴えがあれば、感情的に険しくなんとわがままな!

子どもがわめいてもそれにすぐ中途半端に反応して

とかそういうことを子どもに言わせ、またそれを学校に訴えてくる親の神経はいったいどうなっているのだとか、教員が親に反発してしまったら、事は陰湿なものになります。
担任先生がごく素朴に
うーん。申し訳ありません。
そうですか。
何ともいたらぬことですな!
といった具合に自分のうろたえを表白し、訴える母親と苦虫噛みつぶした思いを共有できれば、そこから何かがほどけてくるというものなのでしょうにね。
うーん、そんな率直で素朴な先生なら、もしれませんねえ。
それほどまでに子どもに嫌われるはずはないか自我の確立してない先生だっている
昨今では、「好き嫌いは、それ自体が自分の個性であり、今は個性尊重の世の中だから……」と息巻く若い人がたくさんいます。先生という職業についている人の中にだって、正直なところ、先ほどから繰り返している
自我の確立した円満な人格ではない人もおられます。どうにも悲しい現実です。それは確かに現実なのに、先生という職業自体がたくさんの子どもに囲まれ、その親たちにも触れる仕事である以上、そんなに狭く、固いばかりでおれるものでもないというのが、教師という職業のまぎれもない現実なのですね。

母さんは言いました。


勉強したのでです。子どもの依存性とは負の相関を示していた。覚悟を決めて、先生に体当たりしてごらんなさいよと相談で、親に勧めたことがあります
先生、私が親として上手な子育てができていないから、勝手な子になってしまったと反省しています。ですから、しっかり先生のお力に頼らねばなりません。先生、お気を悪くしないでね。うちの久美子が先生が好きではないから、学校、行きたくないって言うのです。こんな失礼なことを子どもが言ったからといって、そのままを先生ご自身に伝えるなんて、どうかしてる、と何度も何度もよそうかと思ったのですが、率直なことが一番早道とも思ったのですこういって体当たりしてごらんなさいよ、と私もまだ相談に慣れていない頃で、親にそう勧めるしかないと思いました。でも私の心の一方では、そう言って母親を勇気づけてやるよりもっと他に道はないのかと、迷っていたのも事実です。
·子どもの残念さを理解する結局、その時の相談で、私自身がこの母親に対して口にしたことばは、こうでした

子どもがさっと寛容さを示

「先生に訴えるより、まずわが子に先生との相性が悪いなんて、そんな残念なことは、他にはあまりないと思う。久美子の残念さが分かるわと、徹底的に気持ちを分かっておやりなさい」
そしてそれが功を奏したようなのです。
どんどん久美子ちゃんが、お母さんに学校の話をしてくれるようになり、その分、学校でも積極的にクラスの空気に溶けこむようになり、意外と、もともとのこじれを久美子ちゃん自身が母親にさりげなく話してくれるようにもなったというのです。
そして、個人懇談の時、先生がこう言ってくださったのです「久美子さんには、正直言って自己中心のわがままなところが少し目立っていたような気がしますが、この頃すっかり変わりましたね。何があったのでしょうか。

父親の仕事を具体的に知ることによって


子どもはトイレから急いで出ようとする
いやそんなことはどうでもいいことで、なんだかこの頃、担任の私の意図をよく汲んでくれて、クラスの大切なムードメーカーなのです。親御さんが力のある方なのだと、私は読んでいます。お母さんにお会いしたいな、と思っていたんですよ」
母親はすっかりうれしくなって、心がほこほこと暖まる思いでした。
お互いに責めあうことの険しさより、ほどけあう心の愉しさなのですね。
親子の関係改善をそれから後、クラスの母親の二、三人と会って話す機会があり、そこでなんとなく分かったのですが、横ド麻由という子が、なかなか活発で、はじめ先生が、なにかといえばこの子ばかりに期待している様子が、久美子ちゃんには淋しくてたまらなかったようなのです。いつからか、久美子ちゃん自身の生き生きした様子に先生が着目してくれるようになった……いや、先生に着目してもらえるようになったから、本人が生き生きとしてきたのではないか、ということなのです。
いずれにしても、もともとは自分と久美子の関係がよくなったからだと、母親は納得しています。子どもの気持ちを条件なしで分かってやること。

子どもにも不便はあるのです

聞いてやれたこと。そこが関係改善のすべての糸口になったのだ、と母親は自信が湧いてくる思いでした。
性への興味を上手に導く無関心がいいのではない性への興味関心について、わが子に限って何も心配がないからよかったと胸をなで下ろすのが良識と思っているお母さんがもしいらっしゃるなら、その親こそ良識どころか常識のない親だし、わが子のことが分かってはいないこと、甚だしい限りというべきです。
というと、何かいけないこととかうす汚いことだという極端な片一方の連想だけに走るのは困ったことです。
逆にけがれないもの、清く美しいものだけ教えるきれいごとというのもどうでしょうか。
人は生き物。ほ乳類霊長目ヒト科人類性の判断が、個々人それぞれに任されているという生き物は、人間だけです。


子どもの依存性とは負の相関を示していた。 子どもはみんな鼻から二本棒垂らしていた。 成績が良く

子どもを社会的な存在ととらえ

小学校のころよりも家にいる時間が短く

叱った後は叱られた嫌な気持ちを、カラッと爽やかに切り替えさせる、こんなタイプの先生なんじゃないでしょうか。
大切なのは子どもののびのびとした明るさ、その子のいいところをしっかり認めてやること。日頃から自分のよいところをしっかり評価し、認めてくれている大人に叱られると子どもの心には
叱られた意味がちゃんと届くのですね。
·プラスを認めてやることだけに徹するアメリカ大リーグで超人気のイチロー。そのお父さんのチチローさんは、叱ることより感嘆の声をあげることによって、あのしなやかで率直で、いつも平常心のイチローの性格を培ってやったということです。
なんでもない時や、ずいぶん下手な投げ方や打ち方をした時には、はい次、はい、次
と練習の流れにつきあってやるだけです。
先生になれる。

子どもに食べさせている食べ物について

だのにオーッ、それだ。やるねぇ。うんと、いいところでしゃんと感嘆の声をあげる。いいところだけ声をあげてやったそうなのですよ認められたことは、暖かく誇らかに繰り返し思い起こすことができるので、たちまち「今のあれだな。ようし、ねえ、父さん、まだ明るいよ。あれ、もう十回繰り返してためしておく。練習もう少し、つきあっていいでしょ」と、自らの心のひろがりのために、イチロー自身が、ひとりでに打ち込んでいく様子だった、とチチローさんが語っておられるのを、何かで読みました。
もう、そうなると、叱ることなんてなかったのでしょうねたとえ十回にたった1回でもさて、十回のうち、九回は明るく認めてもらえて、一回だけきちんと注意されたという場合には、その忠告には否が応でも耳を傾けることになってしまうものです。

 

子供が軌道を外さないよう

心がこちらに向いているなと分かれば、忠告するほうも、くどくどと嫌味な言い方などしなくなっています。いや、たとえ十回のうち、九回までがダメで、いいのはたった一回きりという時だって、九回の非難はぐっとおさえて、一回のよいところをこれはしっかできていると評価してやる。できないところが多くて落ちこみがひどい時には、効きますよこれは確かにいいけど、いいのは十回に一回だけではねぇというような調子で嘆きなじる代わりに、1回でもよしであれば、それをよしよしと誇らしく認める。するとその1回が誇らしい力となって、自らの細胞分裂で増殖がはじまるように、1回が11回に
なり、11回が四回になるのです。
よし

を責めるより、
を認めるのです。
両親の部屋でいっしょに寝ることが望ましいのです
子どもは決して珍しくはないのです。

先生をしていた時にも私

九のを認めてやると自然に心がほぐれます。
一回のそんな心意気で一回のやり直す気が自然に湧く叱っている時は、知らず知らずのうちに声も表情も暗くなりがちですね。
険しいくどくどしさって、相手を嫌な気持ちにさせます。さあ、やり直そう!という気持ちが自然と湧いてくるのは、気持ちを持ち直すことですから、暗く険しくてはダメなのです。
間違ったことをしでかした子を激しく叱責し、もう二度としませんと、誓いを繰り返させているのを見かけます。私は、それには賛成しかねます。穏やかにこう言って、しっかりと心の奥の方向性を再確信させればよいのです「誓いや約束を繰り返すことなどしなくていいことばで聞くよりも、実際にまたやるかやらないかだからね。

育てるだけでなく

あとあとの行為を見れば分かる。すっきりやらないように変えるなんてことは、そう簡単なことでない。また繰り返すかも知れない。その時は、ことばでではなく心の中で、もう繰り返さないようにと自分に声をかけておけ。そうすれば、しだいにしないことが当たり前になっていくよ。大丈夫」
くどくど叱るのは、叱られる者にとってよく響かないのです。

荒れる子の荒れる原因が分かる切なさ

不機嫌この上なしの日々なんでこの頃あんなに不機嫌なのか、分からない
と思う時
子どもを社会的な存在ととらえ

中学校時代など


「どうしてそんなに暗い顔をして、何も言ってくれなくなったの。
ねえ、どうして」
と率直に尋ねても、子どもがすぐに答えてはくれませんね。
「この頃、態度が悪いぞって、オレばかり先生が叱るんだ。分かってねえんだよ。
くるのは、川井と茂山ばかりなのに」
仕掛けてなどと、自分の困り事を誰かに陰で話しているようなら、そう問いかけることが心を閉じ込ませる糸口になっているのですね。問いかけてもムッとするばかりで答えてはくれない時って多いのです。気持ちが整理できないで落ちこんでいる子どもは、そういう問いかけに答える気にはならず、むしろ嫌気を起こして

子供を持つ

子どもは何人ほしい

大学生にアンケートをしてみて
陽太はどちらの面にある時も、自信があふれてしっかりその二つの面になりきってたと思うでもおなかの中は、辛くて、辛くて、張り裂けそうだったと思うのもし、淡々とこういうことを母親が陽太に言って心の目をさました自分になってやれるなら、陽太はしーんと黙ってしまい、心も体も動かない静まりを続け、やがて大粒の涙を流して、天地をふるわせる慟哭をはじめたりするでしょう。陽太君と一緒に、陽太君の母どうこく
親も大粒の涙を落とすでしょう。いや、親としての辛さに身もだえするでしょう。
いじめって、人の心の弱さの象徴なのですよ。いじめ問題について万人が芯まで理解できる解説は、まだ世に出ていません。

「陽太、あんた、すごく陰険なイジメの番長だって?ほんとう?今まで私にだけは正直に何もかも言ってくれてたじゃないの。正直に言ってよ。まさかそんなこと、あるはずがないと思うけど。もしそんなことが本当なのだったら、私、パパにどう言おう?パパ、落胆すると思うわ」
オレ、イジメたりするもんか
「ほんと?そうよねぇ。そんなことしてたら、あんたのこと腹立てるより、おまえは何をしてたって、ママがパパに怒鳴られて、大変なことになる!ねえ、言って。本当はどうなの」

ハ、ハ、ハ·してないって。気にしない、気にしない。いったい誰がそんな根も葉もなぃことを言いふらしてんだろうと、あっけらかんとした言い方で、陽太自身が腹を立て、ママ、他人の言うことのほうが、わが子の言うことより正しいと信じるのかい?
「そうねえ。そうよね。

子供が大きくなればなるほど

パパの仕事は敵が多いっていうし、私のことをやっかんでる人も近所にはいるし、どうしても少し目立った働きがあると、すぐこれだから」で息をつぎ、「卑怯極まりないったらありゃしない。陽太、気をつけなさい。うまく行ってる人を、うらやんでひがんでおとしめようと思っている人って、世間には多いんだから」と嘆けばはーい、ママと賢ぶっていい返事。他人事だと、読んでいても変だと思いますね多少ともこういう裏表のはっきりした傾向が、わが子にもありそうだと気づいた親にしっかり伝えたいのは、それじゃあ、どうしてわが子の二面性をほどいてやるべきかということです。

子どもから情報を聞き出そう


経験したことがなかった。子供が思うはずもありません。よくよく人の話を聞いて、子が徹底的にウソを言い張っていると認めざるを得ないのなら、責めてはいけない。正直に言ってくれと懇願するのも、こだわらせるだけですね。親が率直、正直これしかないと思いますしっかり固まった土くれは、よほど水をかけても、はじめはうわべを流れるだけ。じっくりじんわり何回も何回も水をかける。またしてもかける、というように、こんなふうに対応する。

陽太、私、大変なことに気がつきはじめてる。あなたに随分ひどい負担をかけていたいったい、なんのことを言ってるの?分からないよ、ママ

そりゃ、とまどうよ。私が目の前で見てきた陽太も正真正銘、本当の陽太。番長もどきの徹底的ひどさで弱い者いじめをしていた陽太も、正真正銘の、本当の陽太どちらが本当の陽太なの。さあ言って、という言い方と正反対の表現です。両方あわせて、全部が陽太のすべて。私は陽太がいとしい。私は気づかずに、両極端を使い分けさせてしまった。

中学生という難しい年頃の不安定な時にこそです。

陽太はどちらの面にある時も、自信があふれてしっかりその二つの面になりきってたと思うでもおなかの中は、辛くて、辛くて、張り裂けそうだったと思うのもし、淡々とこういうことを母親が陽太に言って心の目をさました自分になってやれるなら、陽太はしーんと黙ってしまい、心も体も動かない静まりを続け、やがて大粒の涙を流して、天地をふるわせる慟哭をはじめたりするでしょう。陽太君と一緒に、陽太君の母どうこく
親も大粒の涙を落とすでしょう。いや、親としての辛さに身もだえするでしょう。
いじめって、人の心の弱さの象徴なのですよ。いじめ問題について万人が芯まで理解できる解説は、まだ世に出ていません。

母さんが買ってくるから萌と咲と三人で食べよう。


先生という職業自体がたくさん
私が先年出したいじめをほぐす朱鷺書房は黒柳徹子さん、山田太一さん、もうすでに鬼籍の人となられた小児の百科の松田道雄先生、その他幾人かの人に、巻表紙にこれはいじめの問題のわかる本だと賛を書いてもらったのに、私自身の力がなくて、多くの方の目には届かなかったみたいです。私の力不足がどこにあるかが、私にはまだ見えてこない。それが無念ながら現実というものですね
先生との相性が悪い場合の工夫それぞれ、人生って、習慣や取り決めがある基本的に行きあたりばったりですね。
運、不運がありますものね、正直言ってなるようにしかならないというのも一面の真理だし、運命は自分が拓くものというのも、小学、中学、高校の担任って、お見合いシステムで相手を選ぶように、あなたにふさわしい先生を選べたらいいのにね。

子どもたちと話をしたり遊んだりしている

でも、現実には、そういうことにはなっていないですね我慢しなくちゃならなかったり、また逆に大当たり!と喜べることもあったりねと何かのついでに率直に語りあっておく。そんな機会が、家族団らんの際には必要なのだと思います世間一般には、時、所、場所に応じた習慣や取り決めがあって当然ということを、小さいうちからもっともっとわきまえさせておかなければならないと、いろんな子どもの様子を見ていて思うのです。
人間が複数で存在して一緒に生きている限り、どの集団や組織や暮らしにも、必ずみんな納得し承知しているルールや決まりがあるのです。みんなそれに従うことが当然なんですねあなたの所属は00先生担任の年△組と決められるのまず普通の小中学校などでは、が普通でしょう。


子供が思うはずもありません。 父親として私はどうするかということでした。 両親の部屋でいっしょに寝ることが望ましいのです

教育で得た収穫である。

子どもが求められてくることは間違いありません。

こんなふうに言ってくださると、私自身、ひとに支えられている自分を感じます。
こそこっちがありがとうございますなのですね。
それ

PTSDやトラウマはどう癒されるのか

あの大震災のあと使われ出したことば神戸の大震災以後、心的外傷後ストレス障害ということばやトラウマといPTSDよく耳にするようになりましたう心理学用語が一般化され、神戸に生まれて神戸に育った私は、長田区でも山側の被害の少ない地域でしたが、あの朝の激震で
ああ、死ぬってこんなにあっけない成り行きなのかと感じるすごさを体験しました。自宅は瓦屋根を葺き替える程度ですみました。縁者の安否を確かめるためにまだあの大火災が起こる前の壊滅直後の街中を、どうにか車の走れる道路を選び選び走りました。現実感のわきようのない、まるで昔の地獄絵の絵巻物の中へ自分が夢遊状態で放り込まれているとしか思えませんでした。阿鼻叫喚の筆舌に尽くし難い有様に、ただただ意識は茫然としたまま、いったい自分があれからの数カ月、どういう日々を過ごしたかを正確にはとても覚えてはいません。
子どもに対する評価

子どもの可能性は大きく広がることでしょう。

あびきょうかんぼうぜん強烈な恐怖体験後、おびえの記憶が残って心の緊張が続き、日々の生活に支障をきたすというさまを、心的外傷後ストレス障害PTSDと言い、神戸の子どものPTSDについては、震災後、何年も残る大きな課題として取り沙汰されているわけです。
悪夢的な悲惨な体験を持った方が、それ以後何をするにつけても、その記憶の痕跡に拘泥させられ、正常な精神状態にはおれないことを、トラウマが残っているといい、このトラウマということばも、あの震災後、よく使われるようになりました·一生涯残り続けるのかPTSDやトラウマは、そのひとの心に一生涯重圧であり続けるしかないのでしょうか。

 

学校でも同じなのですが最近ない

もっと一般的な現象として、心が不自然な圧迫をうけて、のびのび、生き生きとすることがおさえられる状態を、ストレスを受けるといいますが、いろんなストレスを味わうということは、それだけで単にマイナスの要因でしかないのでしょうか。
大激震の日の夜が来て、被害地に追いうちをかける大火災の猛煙が赤々と広がっているのを、高台に位置する自宅から一望にした私は、引き続きやってくる余震のおびえに心の芯まで冷え固まって震えながら、しきりと、あの悪夢の再来なのだ、と繰り返し口の中でつぶやいていたのですそれより何十倍何千倍も真赤に焼けただれたちょうど半世紀前の神戸の夜空を思い出していたのです。
それは子どもの頃の、太平洋戦争末期の大空襲被災の夜の記憶でした。
かいじんこのたびの震災の比ではなく、一夜明ければ見渡す限り灰燼に帰していた日。
があざやかに心によみがえってくるのでした。
あの光景決定的な痛みの数々しょういだん敵機B29の幾編成もが、無数の焼夷弾を次々と落としていく。恐怖の体験であるのに夜目に、来襲する飛行機から放出された一つの光の矢が落下の途中で炸裂して数十の光の放列に変わるのは、光の饗宴と見ほれる美しさでした。
経験が今はじまったば
父親としてはいたず

学校に行くことが辛いように言うというのです。

圧倒的なこわさをつい忘れてきれいと思う瞬後に、ヒューと音を立てて、その一発が逃げ惑う私たちの至近の草むらにドスンパチパチと落ちて猛火を発しました。
さくれつきょうえん今だから、こんな客観的な書き方ができますが、当時の私は子ども心に、なぜ戦争というものがあるのか。この敵機襲来はアメリカ軍上陸へと引き続いていくのか。どんどん
殺されて、もう逃げ惑う余地もなくなるのだろうか
とおびえる毎日でした。こわくてこわくてたまらなく、これはもう生半可なPTSDやトラウマの話どころではなかったわけですその恐怖たるや、ストレスなんてものではありませんでした戦争が終わってからの、飢えの体験もまた、ことばで語れるものではありませんでした。食べるものがない、腹がへってもどうしようもない。母が、一切の食料が底をついているのに、さあ、お好み焼ができたよと私たちを狂喜させた日があります。

大学院に進むのは大いに結構だ。

みんなむさぼるように食いついて、一口ほおばったまま胃も心も意気消沈みじめの限りもそのはず、困りぬいた母のせめての工夫で、そのお好み焼たるや、生地は米ぬかで、刻んだ大根の葉だけが入った、油抜き、しょう油抜きの、得体の知れぬ代物だったのですからそれ究極の飢えに、このままだと、長くは生きられないのではないか
きの並のストレスとはどだい、質が違っていたと思います。
という恐怖は、今どストレスとどうつきあえるかストレスはストレスを超えることで、人間をよりしっかりしたものにしてくれるまたとない試練だと思っています。
PTSDやトラウマを軽視してはいけません。その状況下にあって、逃げも隠れもしないで、こっぴどい体験を、しっかりしっかり体験すること。体験したという記憶から早く逃れようとあせってはならないと思います。

もう二度とは消えうせない記憶と思う。だのにここはだけどはないのですねあと愉しいことや気持ちの安定の日々を重ねていると、いつか、その痕跡は消えていくのです。
大丈夫ですよ
積み重ねあるのみ、です。
私は戦後も、空襲警報のサイレンが街中に響くのがおびえの種でした。
母さんの意地悪!

子どもはどうしてもけがをします。


戦争中、街中の大会社や工場の始業開始や終わりを告げるサイレンが、長くどこまでも尾を引く時と違って、空襲警報の時は、短いのが十回続いて鳴りました。空襲警報で街中のサイレンが、ウウS、とうなりはじめる時、私はびくりとして息がつまることが癖になっておりました。
戦後もサイレンへのおびえがいささかも消えませんでした。死ぬまでこのおびえが続くかとさえ思ったものです、諦めに近い気持ちで。いつからそのおびえが消えたのでしょう明るい元気な日々の展開で、いつしかあのおびえは遠のいて、過去の記憶として、アルバムの単なる1枚の写真、それもセピア色の写真の印象になってしまいました。
心のさあ、現実に戻って。
なにかとストレスだらけの一日。
ストレスが起こるのがやむを得ない、共働きときれいごとを言うのはよ日頃、ストレスがあるような生活はダメだと、育児と主婦業の忙しさ。

経験が今はじまったば

勉強するとかテレビを見ながら何をするとい

子供の方からは非常
まわりの父親の友人たちが、ほう!っといっせいに声を上げ、と、はじめから自信がつきますよね。やる気にもなります。
拍手する。
これだ毎日の気持ちの積み上げがプラスの方向か、マイナスの方向かの違いが、大きな向きを決めるのです。最初の印象的な評価が、子どもののびのびさにつながったり、逆にこわばりをさそったりするのです。
クラス会は会食のあとカラオケ大会でした。
いい歳になってから、初めて挑戦したカラオケ。
おずおずと声を出したら、意外にまわりの聞き手が拍手してうまいじゃん、声いいね
と感心してくれた。

口々にへえ、信じられない!
会場中に響きます。
中学の三十五年ぶりのクラス会です。
清滝和子さんといえば、中学の頃からスポーツ万能で、男まさりで、クラスの中で、いわゆるしきり屋さん
と誰からも認められていました。
クラスの中だけでなく、一学年が+クラスというマンモス中学で、県で優勝したバレボールのアタッカーの清滝といえば、学校中知らない者はいませんでしたその清滝さんのことばにしては、本当に意外だったのです。
親の血を引くとはよく言われますが、親がスポーツ感覚に優れた才能を有していれば自然と子どもも似て、その筋に進んでゆくという例が多いのは確かです。
ところが、そうでないことも結構あるのです。

母乳語らしいものをやらない

意外にも、親が反面教師に大ざっぱに二分すれば、親に似た傾向の能力や趣味を持つ子どもと、まったく対照的に親と反対の方向に育っていく子がいますね。
この対照的な違いは何から生じるのでしょうか。いろいろな場合があるでしょうが、基本はそれこそ私がこの本にしばしば触れるマイナス思考とプラス思考の違いだと思うのです。生まれつきの違いだとは思えないのです本当に物心もつかないうちからですよ。まだまだ年端もいかないのに何となく親が自分に対して、やっぱり私の子なのねなどと納得した安心のことばや態度で接してくれると心がほどけて温まり、親の関心の方向に、知らず知らず自分の意欲が向いていくのは自然ですね。
それと反対に、自分が自然にやった一動作をびっくりしてあきれたように眺められて「どうしてそんなふうでしかないの?情けないね。いいからもう一度やってごらん」と、軽視や落胆の態度で注視される。すると、心が固くこわばってしまい、手先がどうにもぎこちなく動くしかない。

子供に接したほう


子どもに多く見られるのが実母さんの意地悪!そういう悪循環が毎日続くとなると、親がこちらに目を向けた途端に、心も体もこわばるばかりになりがちなものです。
ね。こういうマイナス思考の積み重ねで、親の得手なことが極端に、自分は苦手になるという、つまり親が何かにつけてとんでもない反面教師になってしまうことってあるのですよ·のびのびと、文句なしに「ねえ、みんな。やっぱりわが子なんだよな。
そこで思いっきり振るんだぞ」
光一のバットの振り方、見てやって。
光一、このクラス会は、清滝さんの思いつきらしく、母校の教室で日曜の昼下がりからはじまった集まりでした。おしゃべりやなつかしの運動場で時間を過ごす計画だったのです。
平本茂平さんは、初孫の光一君を連れてきていたのです。二歳とちょっと。かわいくておばさんたちに遊んでもらって、元気のよい声をあげ、そこら中を走りまわっていました。
野球帽をかぶり、オモチャのバットを片時も離したことがありません。
オーレと平本さんがボールを投げてやると、可愛い孫がビューンと思いきりオモチャのバットを振ります。

高校まで義務

まわりの父親の友人たちが、ほう!っといっせいに声を上げ、と、はじめから自信がつきますよね。やる気にもなります。
拍手する。
これだ毎日の気持ちの積み上げがプラスの方向か、マイナスの方向かの違いが、大きな向きを決めるのです。最初の印象的な評価が、子どもののびのびさにつながったり、逆にこわばりをさそったりするのです。
クラス会は会食のあとカラオケ大会でした。
いい歳になってから、初めて挑戦したカラオケ。
おずおずと声を出したら、意外にまわりの聞き手が拍手してうまいじゃん、声いいね
と感心してくれた。

子育てについて考えてみました。


母がいなくなったためにえって
それがきっかけとなって、どんどん歌いこむようになり、何年かたっとカラオケは自分の得意のジャンルになっていた、という宇谷健太さんは、歌いっぱなしです学校での不本意な思い出その宇谷さんはこう話します小中学校の歌の時間が、死にたいと思うほど、私の恐怖のひとときでね。
辛かった。
みんなの前で歌わされる試験が、だめだなぁという顔を、どの学年の先生も一様にするんだもの。ひどい時は、「次は宇谷か。おまえは声を出すより、かけっこだよな。まあ、順番だから、歌うか」って。
歌うことにつけては、おまえは除外、という態度だった担任もいた。もっともその前の学期末には、「もっと声を出せ。運動場での健太とまるで違うじゃないか。なぜそんなにぐにゃぐにゃした姿勢なんだよ。背筋をしゃんと伸ばして」と、あきれ果てられ、何回もやり直しさせられて、すっかり声が出なくなったんだ。

先生を好きになると授業中にも飛び出して行って

先生もそれを思い出して、やれやれ、あの宇谷の番か、ということだったんだろうな、と今にして思うのです。
だって、私に歌わせよう、私の歌を聴いてみよう、なんて、私の親は思いつきもしなかったさ。だいたい、歌うなんてこと、男きょうだい三人の私の家ではまるで無縁だったもの。
カラオケなんて、げてたんだ私は嫌なものがはやりだしたな
と、はじめの二、三年は、逃お得意先の接待をすっぽかすわけにいかなくて、いやいやながら、渡哲也のなしの花を歌ったら、投げやりで歌ったその一曲に、拍手が湧いてね
くちハハハ、それからは病みつき。


母さんの意地悪! 太極拳教室だと子供が参加できる 子どもがその目標を見つけることができるよう

両親の部屋でいっしょに寝ることが望ましいのです

子どもが自分で話す話の中

しつけの基本は、まさにここにあるわけで、プラス点を重ねる体験をしつづけていくと、それがまさに、関西弁でいうしィつけられることになります。し慣れることが、
しィつけることでしょう。
それがつまりしつけですね。
親の願いと子の実践との向きが同じであれば、子も親もともに,うれしさがこみあげるということになるわけですね幸せ
本章の1節に書いた作り出すことです。
というものを期せずして実感するうれしさをしつけ
でむしろ、字に書いたような幸せの瞬間は稀であって、平生はいつもズレっぱなし、へだたりっぱなし、誤解のし合いだらけなのだからこそ、たまにうまく行った時の、こころゆく思いや充実感が、ありがたい幸せということなんですよついでにこのありがたいですが、有り難いとは、つまりそうあることが普通でなくて至って難しいこと、言い換えればめったにあることじゃないということなんですね。
子どもを社会的な存在ととらえ

子どものように見えるけれど

失敗こそがなつかしい思い出

公園デビューのつまずきが生かせた-自分からことばを出す近所の人たちとのおつきあいというものは、気にする人にとってはとても
気にな3問題です。自然なおつきあいができているだろうか、それとも気づかいやこだわりばかりでぎこちないものになってしまってないかしら……と。しかし、そんなことは、それほど気にすべきことではないのです。
そうはいっても、まだ子どもが幼く、慣れない所で子育てをしようとするお母さんにとっては、あ、こんにちはとあいさつするのは度胸のいることかもしれません。自然にあいさつが交わせる親しい人が何人かできる、ということが慣れの出発点となります。
実はそれって、なんでもないことなのに、むずかしいと思える時はほんとうにむずかしいですねそんな人、すぐにできるわ。絶対にできる!と確信をもって!誰に会っても自分からあいさつすること。

 

子どもの多くはお手伝いをしていません。

数打ちゃあたるぐらいに思って、慣れてしまうのです。最初は気まずさがあって、ぎこちなくても当たり前。でも、すべて慣れなのです。繰り返し、慣れてくると、自然にそれこそ慣れちゃうわけですね。
結婚して、住み慣れない土地で赤ちゃんが生まれ、数カ月すれば、いよいよいわゆる公園デビューですか。そうです、近所の人たちがよく利用している公園へ遊びに行くだけのことこの公園デビューなることば、いつ頃から使われるようになったのか、私など初めて耳にした時には、まるで昔のヨーロッパの社交界もどきの表現を今頃とってつけたように持ち出して、なんと大げさな!と苦笑してしまいました。でも言い得て妙、うまく言ったものです。
話は逸れてしまいましたが、そもそも公園デビューなんて、うまくいかなくて当たり前と確信していればいいのです。
子供が思うはずもありません。
子供に何かをさせるとき

子どもに決めさせていいのです。

習うより慣れよと昔から言うじゃないですか。出かける前からうまくいかなきゃダメなどと気負ってしまうと、かえって不自然になってしまいます。
話してみれば
皆さんの遊びの中に入れてもらおうと、初めて加奈子を連れてこの公園に来た時、こんにちはって私があいさつしたのに、誰も返事してくれなかったのよ。もう、恥ずかしくて、気まずくて、いたたまれなくて……を見たら、私の気持ちが伝わったのか、加奈子ももじもじ立ちつくしてるの。結局、その後すぐ公園を出ちゃったんだけど、でも、こんな失敗の体験って、あとに引くのよね!
それからって、子どもを連れて外に遊びに出ることがおっくうになっちゃって……...。
いようと思えばいられたんだけど、ふとわが子今はもう何でも気楽に話せる山野さんに、加奈子ちゃんのお母さんは自分の体験を話すのでしたね、余談ながら嘆きことばはけどでつないでいるでしょう。

子供はいつも丈夫

逆説の接続詞はマイナス指向ですね。
私は、あなたたち親子が、この公園にはじめて来た時のこと、覚えてるわ。あなたがみんなに心細そうな声であいさつしてるのに、誰も返事をしなかったことも。私自身も、みんなが黙ってるのに、自分だけ声をかける勇気もなくってまったって、ずっと後悔してたのよ
あなたに悪いことしてし
「大人が人見知りするのよ。私なんて初めてここへ来た時、誰とも話ができなくって、もじもじしてるばっかりで。そうしたら、お宅の健ちゃんが、スーツとブランコを空けてうちの悠介に替わってくれたの。悠介もスーツとブランコに乗って......。なんだか子どもたちのほうが大人の気づまりなムードを和らげてくれたのよ、ねぇ」
山野さんに続いて、宮下さんも寄ってきました。
山野さんや宮下さんと、こうして気持ちよく顔を見合わせて笑いあえる今の自分がなんだか誇らしく思え、うれしさがこみあげてくるのでした。
先生はほとんどが女性。

子供だってそんなことは百も承知です。


加奈子ちゃんのお母さんは、習うより慣れよ
こんなことも昔の人はよく言ったものですね。
·つまずきの共有体験が出発点に公園デビューが、うまくいかなかったのよ
と人に語るより「公園デビューで誰でもつまずくのよね。そのつまずいたことを話題にすると、みんな似た思いがあって、共通の体験を話しあえることにもなるんです。マイナス経験は全部生かして、プラス体験のきっかけにすることができると思うようになると、気持ちがすっかり落ち着いて、その後の二回の夫の転勤も、私はそんなにおじけないようになっていたわ」
ともかくたくさんしゃべるほうが、元気を出して、大丈夫。
習うよりも慣れちゃいましょう。
人を安心させることができるものです。

お年寄りがいる暮らしもいない暮らしも

大家族制度がこわれてみれば昔の大家族というのは、お年寄りが旧来のしきたりを守って、若い者、女、子どもに有無を言わせず、たとえ家中のみんなが不平不満だらけでも、表立っては何も言えない制度でした。

教育をやめるとか親

学校にしてもらうわけにはいかない。

しましょう。
あらゆるストレスが、自分をひとつ押しあげてくれるのです。
:でもいらぬストレスは、やはりいらないですねえ。
だのにねえの接続詞を、日頃の会話でも多用してください。
共生の喜びでこそ、ストレスが癒さのびのび共生のきっかけをれるというものです。
つかみやすいですよ。

しつけの基本がのみ込めたうれしさ

頭よりも心だと分かった時あるお母さんの話です。
伸ばしてあげてほしいのです

母さんが用意してくれた紙にお絵かきをしました。

私、頭と心の違いが、この頃やっと分かるようになった気がするんです。
なんだかうれしくて。……だって先日も、中三の吉信がこの頃、母さん変わったねとポツンと言って、私と目線を交わしあった時、その目と口元におだやかな笑いかけの表情がよぎっていたのですなんだかあり得ないことが起こっているようでした。そんなわが子の顔つきに気づいたこと、今までほんとうになかったのです。子どもの心が生き生きして、前向きに意欲がわいているようだ、と思える時。そんな時の、親の安心の気持ち。今までもそんな瞬間ってなかった。そんな時って、正直にそう受けとった気持ちを言ってやればいいんですねだのに今までは、叱りごとばかり口にしてた言うべきことは言ってやらなくては、とつい固くなって力むと、暗く重くなりがちです。
やめさせよう、と力んで努めたのに、子は逆に知られまいと隠れて禁止したことをする。

 

中学二年生のとき

痛い目を味わわせれば、懲りてやらなくなるかと思い、つい頭を小突いてしまったり叩かれた子が、反抗的にキッと親をにらんだり、変にメソメソして大仰にあやまったりするのを見て、このひねくれ方や口ばかりで泣いてごまかす子の態度が許せず、いたり、もっとひどい折かんにエスカレートするさらに叩日に日に激しくなって、ついに大変な悲劇が起こるというようなことにもなりかねない。
·ほんのかけらに過ぎなくても、プラスが…子どもの心の中に起こった、ほんのかけらにしか過ぎないようなものでも、それがプラス·ポイントのきっかけだ、と気づかせてやる。しっかりとことばでそう言ってやるといいですねすると、わが子と一緒に生きている現実が、ものなのですよなんだかいとしいという思いになってくるそして、自然と感謝の心をあらわすありがとうを子どもに向ける気になります。
先生はほとんどが女性。
成長する生き物なのですから。

母はケチをつけることもなく人間って不思議

少し、オーバーに言えば、
こんなかわいい子が、私の子。ありがとうの思いで日々満たされると、スープをこぼしたことや、まだ生まれてそんなに年月の経っていないわが子のてんやわんやの様子もいとしくなるのです。
少々のことぐらい、いろいろなマイナスも全部経験になる、と大目に見ていればいいのです。大目に見てやらねばいけないと力んだら、とてもじゃないが、大目になんか見てやれないのです。知らず知らず大目に見てやる気持ちになってしまっていると、力んだりする必要などなくなるというものですね自ずから律すること自律ということばがあります。自立は支えなしに自分で自分のことはする、という意味ですが、自律ってどういう意味だと思いますか。

子どもに与えるお手伝いの内容

これを多くの人は自らを律することと捉えがちですが、いささか違うのです。
みずかおの自律は自ずから、律すること
なのですよ
自分が気をつけてしなければいけないのだと力むことではなくて、
気がつけばいつの間にやらしてしまっていたということなのです。自ら
自ずからの違いは、そういうことですね。
自律神経は内臓の働きを司ってくれる神経ですが、まさにその自律であって、内臓一つひとつの動きなど、意識してはいません。
経験が今はじまったば

子どもも変わります


しつけの意味を、とにかくよいと思ったことをしろ、それをしろと押しつけることだと捉えると、それをいやがる子は、繰り返されるあまりにいやがる気持ちをしイつけることになって、しっかりいやがる癖をつけてしまうことになります。
どっちつかずの、プラスもあればマイナスも多いのが、普通一般の私たちの現実なのです。マイナス体験をした時、私ってこういうマイナスばかりなんだといわば無力感の強い捨てばちになるか、ああ、いい体験をした。このマイナスは生かせると明るいプラス点に転じ得るか。ちょっとした心の向きの違いが、先々の大きな違いになってゆきます。

子どもがその目標を見つけることができるよう

子育てはすから親としてのあらゆる先輩同輩の様子

父親の虚像を対比
ミカが描いたんじゃなーい!と身もだえして、さらにもっと大きなウソを重ねざるを得なくなってしまう。
ただ、この場合、そういう判断がついたわけではなく、ウソのつき方に茫然として声が出せなかったのでした。
お母さんは、あまりにも見事なとことん追いつめない力なくそう!と一言つぶやいたものの、お母さんは次のことばが出ませんでした。
でも、そのまま立ちはだかっている娘に、やつとの思いで言いました。
どれどれ、見せて

ほら、こんな!!
こうぜん浩然と気張って、誰かよその子のいたずらを訴える調子のわが子の態度に合わせていけないわねえ。こんなところに落書きなんてと、つぶやくように言うと、子がそれに合わせて、さも他人を咎めるように
ホントニイケナイコトヲシテイル!

広川君をいじめ続けていた金沢君の家庭は、経済的には裕福ながら、問題で破局寸前。しかも父のふしだらは初めてのことではないのです。
両親は父親の女性担任の清貞先生は、再三私をたずねて来てくれたので、この節の最初のくだりは、私がいじめたほうの金沢君にじかに会って、話を展開するきっかけづくりに頑張った部分なのです。
いくつかの例のポイントを合わせての事例ですが、実際例はとてもとても複雑な現実が重なりあっていて、とてもこんなスペースに書ききれるものではありません。実際にどう向けていくかの示唆にとどめておくことにします。

ウソのつけない子に育てる

·ウソを治す特効薬またウソをついている!
と気になった時は、ちょっとした工夫が大切です。

ほんとうかな?信じられない
とばかりに、それってウソじゃないの?と問いつめると、ウソだとは白状できずに、きっとなって、疑うの?本当なのにとうそぶく「どうしてまた、そんな見えすいたウソばかり言うの。ウソつきは泥棒のはじまりって言うじゃないの。いいの?大泥棒になっても」

学習になるのです。

こんなふうにこわがらせる嫌味は、子どもの元気をなくさせて、むしろもっと悪くなるよう力ませかねないのです。怒らずに黙って、しばらく後に、たとえばこんなふうに言う。
「間違ったことを、間違ったとは言いにくいのに……母さんが今まで怒ってばっかりいたわ。あ、それ、取ってなど、ながらの雑事とともに。間違いだと気づいた時に間違えたことを言っちゃつたと元気を出して言えれば、もっと間違えずにすむのだからね」
つまり、あっさりととりなしてやるのですよ。こわばらすより、ほどくのです。
言う親自身が、自分のことばにほぐされて、胸が切なくなってくるでしょう。
それを·とっさの場合、あせらず一呼吸親が自分自身をこわばらせてしまってはいつもそううまくはいかないものです。
ダメなのです。
といっても、とっさの場合、四歳児の美香ちゃんは、幼いながら事をわきまえたよい子なのに、ある時塗り立ての真っ白い壁に赤いチョークでお人形の落書きをしていた。

教育熱心な親なのであろうか。


子どもが学期末に通信簿をもらってくる先生はほとんどが女性。遠目にその現場を見つけた時のお母さんの驚き。いやそれ以上に、とっさに美香ちゃんのとった行動には、さらに息をつめさせられたのです。
親に見つけられたと思った瞬間、なんと美香ちゃんはその落書きを背でかくすかっこうで壁の前に立ちはだかり、目をむいて大声で
こんなところにラクガキしてるよ!誰か悪い子がしたんや!
と緊張した鋭い目つきでお母さんに訴えたのでした。とっさのウソの大胆さ!
母さんは、頭の中がまっ白になる思いでしたいい子だと確信していたわが子が、こんな見えすいた大ウソをこんな大声で叫ぶなんて

何を言ってるの!見たのよ、お母さん。自分が描いたクセに!
大ウソつき!
と、すんでのところで叫んでしまうところでした。
そう口走ってしまうのを必死でこらえたのです。だって、逃げ場のない追いつめ方をしたらどうなるでしょう。いたずら描きをした上に、ウソをつくという二重の悪いことを、どうでもかくさねばと思い、ワーッと泣いて、ワタシじゃないよ!

学習塾関係者からおそらく

ミカが描いたんじゃなーい!と身もだえして、さらにもっと大きなウソを重ねざるを得なくなってしまう。
ただ、この場合、そういう判断がついたわけではなく、ウソのつき方に茫然として声が出せなかったのでした。
お母さんは、あまりにも見事なとことん追いつめない力なくそう!と一言つぶやいたものの、お母さんは次のことばが出ませんでした。
でも、そのまま立ちはだかっている娘に、やつとの思いで言いました。
どれどれ、見せて

ほら、こんな!!
こうぜん浩然と気張って、誰かよその子のいたずらを訴える調子のわが子の態度に合わせていけないわねえ。こんなところに落書きなんてと、つぶやくように言うと、子がそれに合わせて、さも他人を咎めるように
ホントニイケナイコトヲシテイル!

教育のうちで最大


しつけみんな気持ちよ電車の中で足を踏んだ
と言ったので、お母さんは内心
こんなつくりごとを重ねて言わせておいたら、巧妙な大ウソツキにさせてしまうのではないかしら
と、もう気が気ではありませんでした。でも一方ではいま追いつめてはならない
という戒めが猛烈に強かったのです。
·子どもの思いと同じ深さでところが、美香ちゃんは、消してやる!と声を出したか出さないうちに、小さい両手で拭きだしたので、お母さんは急いで濡れた雑巾を持ってきて、二人でゴシゴシ消したのです。たちまち落書きはあとかたもなく消えました。
消えた消えた、よかったワーと、二人の歓声がわいた時
描いてしまってから、大変と気づいた時、消せなかったらどうしようって思うものねと、ふっと口にしました。

母さんでも同じです。

すると続けて、美香自身が、思いがけずほどけた気持ちに「ホント、消えなかったらどうしようって、と思わずまともな自分の気持ちを表現したのでドキドキしちゃった」

こんな間違ったこと、する子じゃないもの。
してしまってから気づいた時、大あわて!
美香ちゃんの自尊心をいたわってくれる母親の態度に、すっかりほどけた素直さに戻った四歳児は、とっさの言いつくろいで身を固めたことももはやすっかり忘れて
あー、よかったと幼い胸の内をはき出すように言ったのです。
ではない!と必死になり、ただ、
ああ、よかったお母さんは
今誰がしたのかなど問う時と子どもと同じ深さの声だけを息とともにはき出したのでした。同じ思いを同じ深さに。
すると、です。ボロボロとほどけた四歳児の自然なことばが、一気にふき出たのでした。


先生はほとんどが女性。 子どもがその目標を見つけることができるよう 父親として私はどうするかということでした。

母さんの意地悪!

子どもにお手伝いをしてもらう迫力はないでしょう。

先生の部屋に入りますとぽつんと言われたのです。
オレがどうして広川の金を巻きあげないといられないのかを言ってやろうか……心に添うことばを重ねていると、やりきれないといった生きた感情が触発されて、人の日頃の思いが知らず知らずのうちに語りだされてくるのです。
本語調が激しくなってくるのを、私なりに本人に翻訳してやります。意を添えるのですね。

わー。調子が激しくなった。言いたいこといっぱいあるんダなどと。
私の言うことばを受けて「あるよあるよ、大ありだよ。だいたい、オレの気持ちなんか、誰か本気で理解しようなんて思ったことがあんのかよぉ。そんなもん、誰もいないよ、誰もほんとうにだーれも」

誰一人いなかったというのが正真正銘ほんとのほんとだ、ということが今の君の調子で分かる。君は実に率直な中学生だ「何が率直な中学生だい。オレはいつだって率直この上ないですよねえ、おじさん」
広川やってもおさまらないの。ん畜生!
...。
あいつの顔見てたら、むかついてくんの。
オレをバカにしやがって。

意外と出し慣れると出るようになるものなんだね声って、·いつでも反省が役に立つこの宇谷さんの話が終わった途端に、清滝さんが話し出しました。
ちょっと、私の反省聞いてよ、みんな。
私、今日昼間、自分の子が自分に似合
わず、メソメソしてはがゆくて、スポーツ嫌いに育っちゃつたって嘆いたわね。ああ、どうしよう。問題は私自身だったのね。私の子がこんなふうで残念だ残念だって、あの子の前で言うだけ言った。発奮してもらいたくて。
発奮するどころか蹴落としていたんだわでもね、みんなに言っておくわ。自分の発奮するジャンルを見つけて、あの子、自分の人生を歩いてることは確かよ。
私、今度彼に会った時、自分本意の思いこみばかり強くて、て、しっかり謝っておくわ!

育児を共同でやるにして

嫌味な母さんだったっ誰かが次のクラス会、待ち遠しいなぁ
と言ったので、またひとしきり盛り上がったことでした。

いじめは糾弾するよりほぐすのがよい

·心に添ったことばに誘われて弱い者いじめをしなくては納まらない人に、なぜいじめるのかと、問うほど愚かしいことはありませんね。せいぜいやったら自分の気が晴れるからだと答えるのが関の山だと思いますが、なぜ人をいじめたら気が晴れるのかとさらに尋ねても、そんなことは本気に考えたことなどないのであって、ことばにつまるばかりでしょう。
なぜからはじまり3で終わる一切の問いただしは効果的ではありません。
私は君のことをこう思っているという向きの、いわば相手の心に添ったことばをかけてやることが、何かを引き起こすと思います。

母親の思いが過剰な厳しさとなって


子供がうつむい経験が今はじまったば「さんざん広川君を殴ったり蹴ったり、時には金を巻きあげて、いじめたいだけいじめたらそれで、君の気は晴れるのだと思う?」

ああ、晴れるよ。大いに晴れるサ。それがどうした
だのにだよ。だけどだと、説教は嫌だとそっぽを向くだのに、なんでこんなこと広川にしなきゃならないんだという思いがチラッとも起こらないというわけじゃない断定する「何を、分かったふうに言っているんだ、おじさん。そんなこと思ってたら、何もできないよ。オレは何も考えたことないさ」

考えたことはなくても感じてるさ。人だもの。人間なんだもの
ややっこしいことを言うなあ。人だよ。人間だよ。だからやりきれないんじゃないか。

中学生になって

オレがどうして広川の金を巻きあげないといられないのかを言ってやろうか……心に添うことばを重ねていると、やりきれないといった生きた感情が触発されて、人の日頃の思いが知らず知らずのうちに語りだされてくるのです。
本語調が激しくなってくるのを、私なりに本人に翻訳してやります。意を添えるのですね。

わー。調子が激しくなった。言いたいこといっぱいあるんダなどと。
私の言うことばを受けて「あるよあるよ、大ありだよ。だいたい、オレの気持ちなんか、誰か本気で理解しようなんて思ったことがあんのかよぉ。そんなもん、誰もいないよ、誰もほんとうにだーれも」

誰一人いなかったというのが正真正銘ほんとのほんとだ、ということが今の君の調子で分かる。君は実に率直な中学生だ「何が率直な中学生だい。オレはいつだって率直この上ないですよねえ、おじさん」
広川やってもおさまらないの。ん畜生!
...。
あいつの顔見てたら、むかついてくんの。
オレをバカにしやがって。

母親にけなされてやす子ちゃんも負けてはいません。


母親の姿はど
やっても、·いじめの心の裏側にあるものに気づくいじめは、いじめた者の本気のほとばしりのことばで、ねば、問題の本質が隠されて陰湿になるばかりです。
しっかり思いを表出させてやら結局、この例の場合は、広川なる少年が、なんだかいつも情けなげなしょぼついた顔をしているのが目について、この少年をいじめた金沢なる少年は、おまえ、うつとい奴ゃ。
その顔、どこかにしまえ
なんて、侮蔑することばを吐いたのだとか。
もしも、相手が負けずに言い返してくれば、それはそれで、ああ言えばこう言うで気晴らしになるんだそうですが、広川少年は、まるで相手にしない態度で、何かあれば先生か
誰かに助けてもらうさ、といった逃げ腰のくせに強い者の陰に逃げる態度がとてもむかむかしたのだとか。

母さんはよほどしっかりした言葉

やるかとかかっていっても相手が無抵抗では、気晴らしにもならず、金をせびりとろうとすれば、ひややかに軽視しながら、言われた通りに出す。
いつも気が滅入った時には気晴らしのいい対象として、ということでした。
金沢は広川をいじめ続けていたいじめは、その背景にあって影響を与えたり、刺激になったりしているものの正体を、よほど幅広く理解し、周りのみんなが心をくつろいだものにしなければ、根本的解決が難しいですね。


経験が今はじまったば 七五三の写真で得た収穫である。 子供を持つ

子供が思うはずもありません。

いじめは跡を絶たないことになります。


学校から帰って来るのを待ちかまえてと尋ねるのが常になりました。
それをとてもいやがるのだから困ってしまいました。
わが子にとって、男の子の扱いがわからない子どものことでこんなに懸命になったことがないと思うほど、さあどうかしなくてはと気負いたち、努めれば努めるほど、あの子をいらだちに追い込んでいるのではと、今は実に大切な時だと思うのですが、女きょうだいだけで育って、心配でたまらなくなりましたちょうどこういう時だったのです。
に来られたのは……。
私の本を読んで、このお母さんが私のところへ相談お互いに違った精神を抱く時「ご主人は古巣の奈良に戻って安堵の思いでいる。それを見ているあなたは、ああ私も自分の古巣が懐かしい、でももはや帰るところはなくなっているとの不満と不安でイライラ。
しかも転居直後で落ち着かな~。耕一君はと言えば、思春期特有の不安定さの上に、はじめての関西暮らしによる周りとの不協和音。
教育をやめるとか親

母さんの気持ち

お父さんにとってほっとする故郷でも、子どもたちにとってははじめてのもの慣れない関西。瞳ちゃんも幼いながらそれなりに努力しており、自分のことで精いっぱい。これまでで一番家族の気持ちのありようが、バラバラに別れた時期なのですね」
こう推測する私のことばに、久野夫人はこう話しました。
言われてみるとそうですのね。
家族のみんながはじめての関東で寄り添いあったのとは、このたびの奈良への引っ越しは違いますね。私、妙に夫やわが子と自分とは、別個の存在なんだ、というなんか疎外されているという感じで心もとなく孤独なんです。

 

成績が落ち始めついに登校拒否になってしまい

耕一には、何でも言ってと頼めば頼むほどそっぽを向かれるばかりで、どうしていいのか分かりません。耕一の今まで見せたことのないいらだったうっとうしそうな顔をみてると、私を毛嫌いするのは、私にもともと母親としての愛情が欠けていたのかしらと、心配になってこのあいだも耕一、母さん、何かおかしい?何が気に入らないのか言ってと言うと、らを立てたように激しく
おまえのことはおまえで勝手にやれよ。うるせーんじゃ。いろいろと!
むかつばって……。いつからおまえ呼ばわりになったんでしょう。こちらに引っ越して、にわかにあんなふうな変わりよう。私、親として自信がありません私はこう答えました。
分かりあうというのは、なんでも知っておいてやるということではないのですよ。気分をキャッチしおいてくれている、とでも言うのかなあ。
伸ばしてあげてほしいのです
幼稚園でいい子だ

子どもを実験すれば

どうだった?って、執拗に聞いたり、言わせたがったりするよりも、帰宅してきたわが子の様子を見ただけで、学校でのノリの悪さを察知して「ああ、ごくろうさん。学校に慣れるまで気疲れするわよね。熱いお茶でもいれようか?クッキーの残りがあるから、あれをどうぞ。あなたの大好物」
なんて、親は自分の判断で、少々ズレていてもいいから、あっさりと安定した態度でいたわってやるのですね。ズレていたら子どもが訂正しますよ
あっ、クッキー残ってるの。やったぁ。ことばがさあ、なんだかダサイんだよ。気疲れとかさ、大層なことじゃないんだけど。標準語で自然にしゃべってるのが羨ましいのか、奈良の連中ったら、ひがんでやがんのなんて、子どもからつい平生の思いがことばに出やすい雰囲気ができますよことばが少々荒れていたとしても、彼なりに学級でのやりとりに合わせるのに懸命なんでしょう。

子どもは驚いてその様子を見に行きました。

なさいね。
いちいち目くじら立てるのはやめて、気持ちの流れを大切にしてやり気持ちの交流がスムーズだと、あなた自身親として、で神経質に考えることなどなくなってしまいますよ愛情が欠けてるのかどうかまそれじゃあ私、親として自信をもってていいんでしょうか
「そんな質問をことさらになさると、私、子どものように反発心がおこります。そんなぁなたが、自信を持ってなぜ悪いのでしょうかって、意地悪く聞き返したくなりますよ」
とまどいとはにかみと自信との交錯したさわやかな笑顔が、私の前にはありました「自信を持っていいのですよ。
子どもに対する評価

子育ては不安ととまどいの連続です。


愛情については、私は自信がある。そう確信したら、いい関
係が自然に整って、自分にふさわしい愛情が心の底から湧いてきますよ」
愛情は元からあるのではなく、胸がぬくもって出やすくなると湧いて出るものなのです。
三カ月ほど後に、彼女は二度目の来所をしました。
「お話しくださったテープの録音、何度も何度も聞きました。率直に言って、先生の話をじっと聞きながら、実際のあれこれ、耕一についての記憶を思い浮かべてばかりいました。
そしてすっかり自信を回復しました。これからはしっかりやってみます。ありがとうございました」