伸ばしてあげてほしいのです

母さんに注意されてまず耳で聞きます。

「どうでもいいよ。母さんに関係ないことでしょ。いちいちうるさく構わないでよ」
と、反発にせよ、そう答えてくれるのはまだいいほうで、黙って親を無視してその場をドアを閉める音だけがすごい、なんてこと、ありがちですよね立ち、言わなくとも見りゃ分かるそういう時は、端的に言って言ってくれないから分からない
と、責めないこと。子どもだって自分のメンツがこわれないように、うまく自分の困り事を親に伝える自信がないのですから。
下手な言い方をしようものなら、親はものの見事に曲解して、そんなふうに言われたのは、自分が不注意だったのではないかとかその問題を解決するにはこうしたらいいのではないかとか、見当違いの非難や忠告を、思いつく限り並べたてるんだもの。
父親として私はどうするかということでした。

大学生が書いたものを読んでいく

やってられないよ
こうした、子どものうんざりした思いは、親には伝わりようもないんです。
「ただいまも言わないで、そんな暗い顔してどうしたの。言ってくれないから分からない」
というのは、親にしてみればごくまじめに子どものことを心配してやっているだけで、何も子を責めたりはしていないという言い方のつもりです。確かに親自身の思いはそうでしょうが、子どもにしてみれば、言ってくれないから分からないの、分からないが充分責めことばになってしまっているのです。
そう問いつめる代わりに、「ああ、ただいま-.って元気に帰って来ないというのは、元気に帰って来られないからなんだ。

 

大学でイギリス人と渡り合っている。

ことさらことばで説明してくれなくとも、あなたの様子を見れば分かる」
と、言わなくとも見りゃ分かるということばを投げかけてやれば、子どもはふッと息もつけて、家に帰ってきたんだなあと、ほっとできます。そういうものなのではないでしょうか。
14で分かると頭で分かるの違い
まあ、みどり、帰ってたの。ただいまって声、聞こえないから、気がつかなかった。
元気もなかったね。なんだか、いろいろあったみたいね。さ、お茶でも飲みなさい。
に置いとくから言うここ
言わなくても、見れば分かるというのと、言ってくれないから分からないというのとでは、分かるという字義の質が違うのです。前者は期せずして顔や態度に出た気分や情緒の向きが分かるということで、後者は、その気分や情緒が何に基づいたものか事情や状況を説明してくれないと事の原因から結果に至る成り行きが分からないという、もう一段先のことですねつまり前者は心で分かることを分かるといったのであり、てくれないから分からないということになりますね。
先生になれる。
才能やもっと向いているものがあれば

勉強をみてくれなくては困る

後者は頭で考える資料を示し学校に夜忍びこんで、ガラスを十数枚も割った犯人が、日頃目立たないそのクラスの子どもだったと気づいた時、気の立った先生が、その子に、「なんであんなことをしたんだ。怒らないから、そのわけを言いなさい」
と問いつめた。先生が聞けば聞くほど子どもの態度はこわばるばかりで、放っといてぇや。オレなんかどうなっても構わんのじゃ
ついに平生の本人とはあまりに違う態度に、「おまえは、本当はそんなひどい奴だったのか。
見損ねていたわ」
と先生が口走る。成り行きを悪くさせるとは露思わずに。
ない教師群って、結構いますね。
やり方のまずさに気づいていあるベテラン教員の対応は前出の先生とは対照的です。

指導するのは過保護の一つだと思う。

子どもの姿を見るなり、自分自身がおたおたと崩れるように、こう言いました
おー、山崎かいよう来た来た。あれがおまえのしわざと聞くまで、私はおまえのことが分からんかったんだ。こらえてくれよなぁそれを聞いた途端に、少年は頭を上げて目の前の先生を見つめ、ポロポロと涙を流した。
センセーツと大声をあげて駆けより、抱きついていったのです。先生はキューッと本人を抱きしめながら「ずーっと、言うに言えない何かがたくさん積み重なっていたに違いない。オレはそんなことすら打ち明けてもらえない先生だったんだよね。悔しくて、切なくて、申し訳なくて..。
許してくれな」
自発の大事さがポイントおえつ子どもは、嗚咽の中で何をしきりにしゃべり続けようとしています。
離婚騒ぎや仕事の不調からゆとりのない両親のこと。誤解されることが続いて、とても気持ちが不安定だったこと。そんな時、級友関係でいざこざがあって、それ自体は自分とは直接関係はなかったのに疑われて、何もかも嫌になってしまったこと。生きていることに絶望を感じるようになってしまって……というようなことが後になってだんだんと分かってきたのでした。
子供が思うはずもありません。

教育が可能になる。


言ってくれないから分からないと、子どものいわば白状や告白だけをあてにして、事態の解決の筋道を大人が頭で考えて、子に押しつけるのと、言わなくても見れば分かると、文句なしの共感から、当人の心を開かせて、子ども自身の自発の動きで事態のこじれをほどいていくのを見守るのとの違いですね心と頭の違いというのが、少しはお分かりいただけたでしょうか。

メソメソ、うじうじ

私の子が!
似ても似つかぬ親子
スポーツ好きの、このシャンシャンとした私の子が、それも男の子が、何かにつけてメソメソして、うじうじしてはがゆかったのよ。結局、K大学の宗教哲学科。信じられる?
それに呼応したみんなのざわめき清滝さんのあきれたような声が!