先生になれる。

父親はまだ外へ出ているから分かるけれど

子供のことを本当に思っているからだという
陽太君は、家で親に見せるさわやかではきはきしたよい子ぶりと、子ども集団で見せるもうすでに板についたものになっているに違いありませ番長ぶりとの二面の使い分けが、んそう考えたほうがいいようです.陽太君のお母さん。
·親の前でのよい子
って?
長い相談の中で、陽太君のような例を、それこそいくつも眺めてきました。
親がよい子であれとわが子に強制し、少しでもわが子のよくない面が見えるとひどく叱り、許しはせぬと息巻くのが常であるために、子はやがて、親の見えるところでは徹底したよい子ぶりを発揮するのが習慣になってしまったわけです。

母親を亡きものにしたことで、歓喜の絶頂にいたというのです少年にとって、ひたすらよい子ぶりを発揮する超自我の化身のような自分を眺めて安心し、満足する母親の存在は、それほど心に重圧を課するうとましい存在だったのです
のつながりもまずまずの程度にこなしていく才覚を培うために努力してやまないもう一つの自分、つまり超自我のとりもち役が、自我なのですね。二つの心のせめぎあいで自我が培われるのです。自我の確立という戦後誰もが聞かされ慣れてきた言葉の意味が、そういうことなのです。
困ったことに、このイド·エゴイズム自我エゴがよく似た字なので、混同されがちで、しかも超自我という用語が、実は昔の修身のように大人から教えられないと身につかぬものを指すと思われがちなため、超自我という言葉がいっまでも耳慣れない。

子どもがトラブルをかかえたとき

えせフロイトの精神分析の原理が理解されないままの似非民主化社会だったというのが、私の戦後社会についての痛感です。正しく理解されない限り人の心も社会も育たないのです

わが子がいじめつ子と気がついて

·わが子に限ってと舞い上がらないでうちの陽太がいじめっ子だなんて、信じられないと母親は、心が動揺しています。
っもいじめられているという子の親から思いつめた調子の電話があったのです。

い私は、ひとからどんな事柄にせよ、非難されることが一番嫌いだし、またされるような覚えは何もないと、それこそ自信があったのに、それもよりによって自慢の息子陽太が、弱い者いじめの張本人だって。

体験をしつづけていくとそれがまさに関西弁でいう


勉強をはじめなくてはならないのです。子供を持つあの母親の電話での思いつめたヒステリックな嘆きと非難の訴え。
思い出すのさえ虫酸が走る。あの子に限って、そんなこと絶対あり得るはずがない!あんな男らしい、いい子が。ああ、この山下の家族が近所近隣の悪意によっておとしめられようとしているのだわ!
もし、お母さんがこんなふうな思いで、それこそ舞い上がってしまうようであれば、これはもう残念ながら、陽太のいじめぶりのひどさは、よほどのものだと、逆に私には見当がつくのです母親が、かくもひどくわが子を見損なっていなさる!

母の配慮がいつ

陽太君は、家で親に見せるさわやかではきはきしたよい子ぶりと、子ども集団で見せるもうすでに板についたものになっているに違いありませ番長ぶりとの二面の使い分けが、んそう考えたほうがいいようです.陽太君のお母さん。
·親の前でのよい子
って?
長い相談の中で、陽太君のような例を、それこそいくつも眺めてきました。
親がよい子であれとわが子に強制し、少しでもわが子のよくない面が見えるとひどく叱り、許しはせぬと息巻くのが常であるために、子はやがて、親の見えるところでは徹底したよい子ぶりを発揮するのが習慣になってしまったわけです。

子どもを見つめつつわが子がもっとも襟を正す


子どもはこのようなことができるだろうか。
そういうことってよくありますねつまり、子どもが超自我-スーパーエゴの化け物みたいなものに、事になり通して親の絶対的な評価をかち得ているのです。
親の前では見親は常々
ああこの子はいい子だと安心した時、成績にたとえれば、せっかく八0点取れるのなら頑張って九0点取りなさい。九0点取れるのなら九五点。九五点が取れるのに九八点取れないわけはない。九八点だって?どうしてそこまで取れて100点にはなれないの?そして、一度100点取れたものなら、いつも100点取れて当たり前でしよう、と、油断をすればつい完璧を望んでしまいかねない。そう願ってこそ親の愛情だなんて、危険な傾向に陥っても気がつかないものなのですね。

母さんが症状を説明している間

陽太は、
徹底して何にでもよく気のつく思いやりのある子だと、母親に信じられているので、母親の前ではそのイメージ通りに振舞わねばならないとつい思いこんでしまって、親の視線の届くところでは超自我の化け物になり切っているわけです。
ある女の子の場合もそうでしたね。その子の母親は学校でもPTA会長等の役職を歴任し、学校の教員たちとも意の通じる、その地域では一目おかれているような方であったし、少女自身も生徒会長として、親にも聞こえる高い評価を教員たちからも得ていました。ところが、表向きの評判とは裏腹に、陰では弱い子いじめの番長ぶりがすごかったのです。
この女の子の場合も問題の要点は全くここにあげる陽太の場合と同じでした。難しいのは親が凝り固まった思い込みから、いつどのように脱することができるかなのですね超自我
の化け物を前にこういう場合、例外のない落とし穴は、親が子どものよからぬ風評を耳にした時、興奮した硬直状態で、これはどうでも真相を明らかにしなければとはやまって、最も信じられるわが子に実にストレートに、こんなふうな対応をしてしまうことです


子供を持つ 教育で得た収穫である。 教育で得た収穫である。