両親の部屋でいっしょに寝ることが望ましいのです

子どもが自分で話す話の中

しつけの基本は、まさにここにあるわけで、プラス点を重ねる体験をしつづけていくと、それがまさに、関西弁でいうしィつけられることになります。し慣れることが、
しィつけることでしょう。
それがつまりしつけですね。
親の願いと子の実践との向きが同じであれば、子も親もともに,うれしさがこみあげるということになるわけですね幸せ
本章の1節に書いた作り出すことです。
というものを期せずして実感するうれしさをしつけ
でむしろ、字に書いたような幸せの瞬間は稀であって、平生はいつもズレっぱなし、へだたりっぱなし、誤解のし合いだらけなのだからこそ、たまにうまく行った時の、こころゆく思いや充実感が、ありがたい幸せということなんですよついでにこのありがたいですが、有り難いとは、つまりそうあることが普通でなくて至って難しいこと、言い換えればめったにあることじゃないということなんですね。
子どもを社会的な存在ととらえ

子どものように見えるけれど

失敗こそがなつかしい思い出

公園デビューのつまずきが生かせた-自分からことばを出す近所の人たちとのおつきあいというものは、気にする人にとってはとても
気にな3問題です。自然なおつきあいができているだろうか、それとも気づかいやこだわりばかりでぎこちないものになってしまってないかしら……と。しかし、そんなことは、それほど気にすべきことではないのです。
そうはいっても、まだ子どもが幼く、慣れない所で子育てをしようとするお母さんにとっては、あ、こんにちはとあいさつするのは度胸のいることかもしれません。自然にあいさつが交わせる親しい人が何人かできる、ということが慣れの出発点となります。
実はそれって、なんでもないことなのに、むずかしいと思える時はほんとうにむずかしいですねそんな人、すぐにできるわ。絶対にできる!と確信をもって!誰に会っても自分からあいさつすること。

 

子どもの多くはお手伝いをしていません。

数打ちゃあたるぐらいに思って、慣れてしまうのです。最初は気まずさがあって、ぎこちなくても当たり前。でも、すべて慣れなのです。繰り返し、慣れてくると、自然にそれこそ慣れちゃうわけですね。
結婚して、住み慣れない土地で赤ちゃんが生まれ、数カ月すれば、いよいよいわゆる公園デビューですか。そうです、近所の人たちがよく利用している公園へ遊びに行くだけのことこの公園デビューなることば、いつ頃から使われるようになったのか、私など初めて耳にした時には、まるで昔のヨーロッパの社交界もどきの表現を今頃とってつけたように持ち出して、なんと大げさな!と苦笑してしまいました。でも言い得て妙、うまく言ったものです。
話は逸れてしまいましたが、そもそも公園デビューなんて、うまくいかなくて当たり前と確信していればいいのです。
子供が思うはずもありません。
子供に何かをさせるとき

子どもに決めさせていいのです。

習うより慣れよと昔から言うじゃないですか。出かける前からうまくいかなきゃダメなどと気負ってしまうと、かえって不自然になってしまいます。
話してみれば
皆さんの遊びの中に入れてもらおうと、初めて加奈子を連れてこの公園に来た時、こんにちはって私があいさつしたのに、誰も返事してくれなかったのよ。もう、恥ずかしくて、気まずくて、いたたまれなくて……を見たら、私の気持ちが伝わったのか、加奈子ももじもじ立ちつくしてるの。結局、その後すぐ公園を出ちゃったんだけど、でも、こんな失敗の体験って、あとに引くのよね!
それからって、子どもを連れて外に遊びに出ることがおっくうになっちゃって……...。
いようと思えばいられたんだけど、ふとわが子今はもう何でも気楽に話せる山野さんに、加奈子ちゃんのお母さんは自分の体験を話すのでしたね、余談ながら嘆きことばはけどでつないでいるでしょう。

子供はいつも丈夫

逆説の接続詞はマイナス指向ですね。
私は、あなたたち親子が、この公園にはじめて来た時のこと、覚えてるわ。あなたがみんなに心細そうな声であいさつしてるのに、誰も返事をしなかったことも。私自身も、みんなが黙ってるのに、自分だけ声をかける勇気もなくってまったって、ずっと後悔してたのよ
あなたに悪いことしてし
「大人が人見知りするのよ。私なんて初めてここへ来た時、誰とも話ができなくって、もじもじしてるばっかりで。そうしたら、お宅の健ちゃんが、スーツとブランコを空けてうちの悠介に替わってくれたの。悠介もスーツとブランコに乗って......。なんだか子どもたちのほうが大人の気づまりなムードを和らげてくれたのよ、ねぇ」
山野さんに続いて、宮下さんも寄ってきました。
山野さんや宮下さんと、こうして気持ちよく顔を見合わせて笑いあえる今の自分がなんだか誇らしく思え、うれしさがこみあげてくるのでした。
先生はほとんどが女性。

子供だってそんなことは百も承知です。


加奈子ちゃんのお母さんは、習うより慣れよ
こんなことも昔の人はよく言ったものですね。
·つまずきの共有体験が出発点に公園デビューが、うまくいかなかったのよ
と人に語るより「公園デビューで誰でもつまずくのよね。そのつまずいたことを話題にすると、みんな似た思いがあって、共通の体験を話しあえることにもなるんです。マイナス経験は全部生かして、プラス体験のきっかけにすることができると思うようになると、気持ちがすっかり落ち着いて、その後の二回の夫の転勤も、私はそんなにおじけないようになっていたわ」
ともかくたくさんしゃべるほうが、元気を出して、大丈夫。
習うよりも慣れちゃいましょう。
人を安心させることができるものです。

お年寄りがいる暮らしもいない暮らしも

大家族制度がこわれてみれば昔の大家族というのは、お年寄りが旧来のしきたりを守って、若い者、女、子どもに有無を言わせず、たとえ家中のみんなが不平不満だらけでも、表立っては何も言えない制度でした。

教育をやめるとか親

学校にしてもらうわけにはいかない。

しましょう。
あらゆるストレスが、自分をひとつ押しあげてくれるのです。
:でもいらぬストレスは、やはりいらないですねえ。
だのにねえの接続詞を、日頃の会話でも多用してください。
共生の喜びでこそ、ストレスが癒さのびのび共生のきっかけをれるというものです。
つかみやすいですよ。

しつけの基本がのみ込めたうれしさ

頭よりも心だと分かった時あるお母さんの話です。
伸ばしてあげてほしいのです

母さんが用意してくれた紙にお絵かきをしました。

私、頭と心の違いが、この頃やっと分かるようになった気がするんです。
なんだかうれしくて。……だって先日も、中三の吉信がこの頃、母さん変わったねとポツンと言って、私と目線を交わしあった時、その目と口元におだやかな笑いかけの表情がよぎっていたのですなんだかあり得ないことが起こっているようでした。そんなわが子の顔つきに気づいたこと、今までほんとうになかったのです。子どもの心が生き生きして、前向きに意欲がわいているようだ、と思える時。そんな時の、親の安心の気持ち。今までもそんな瞬間ってなかった。そんな時って、正直にそう受けとった気持ちを言ってやればいいんですねだのに今までは、叱りごとばかり口にしてた言うべきことは言ってやらなくては、とつい固くなって力むと、暗く重くなりがちです。
やめさせよう、と力んで努めたのに、子は逆に知られまいと隠れて禁止したことをする。

 

中学二年生のとき

痛い目を味わわせれば、懲りてやらなくなるかと思い、つい頭を小突いてしまったり叩かれた子が、反抗的にキッと親をにらんだり、変にメソメソして大仰にあやまったりするのを見て、このひねくれ方や口ばかりで泣いてごまかす子の態度が許せず、いたり、もっとひどい折かんにエスカレートするさらに叩日に日に激しくなって、ついに大変な悲劇が起こるというようなことにもなりかねない。
·ほんのかけらに過ぎなくても、プラスが…子どもの心の中に起こった、ほんのかけらにしか過ぎないようなものでも、それがプラス·ポイントのきっかけだ、と気づかせてやる。しっかりとことばでそう言ってやるといいですねすると、わが子と一緒に生きている現実が、ものなのですよなんだかいとしいという思いになってくるそして、自然と感謝の心をあらわすありがとうを子どもに向ける気になります。
先生はほとんどが女性。
成長する生き物なのですから。

母はケチをつけることもなく人間って不思議

少し、オーバーに言えば、
こんなかわいい子が、私の子。ありがとうの思いで日々満たされると、スープをこぼしたことや、まだ生まれてそんなに年月の経っていないわが子のてんやわんやの様子もいとしくなるのです。
少々のことぐらい、いろいろなマイナスも全部経験になる、と大目に見ていればいいのです。大目に見てやらねばいけないと力んだら、とてもじゃないが、大目になんか見てやれないのです。知らず知らず大目に見てやる気持ちになってしまっていると、力んだりする必要などなくなるというものですね自ずから律すること自律ということばがあります。自立は支えなしに自分で自分のことはする、という意味ですが、自律ってどういう意味だと思いますか。

子どもに与えるお手伝いの内容

これを多くの人は自らを律することと捉えがちですが、いささか違うのです。
みずかおの自律は自ずから、律すること
なのですよ
自分が気をつけてしなければいけないのだと力むことではなくて、
気がつけばいつの間にやらしてしまっていたということなのです。自ら
自ずからの違いは、そういうことですね。
自律神経は内臓の働きを司ってくれる神経ですが、まさにその自律であって、内臓一つひとつの動きなど、意識してはいません。
経験が今はじまったば

子どもも変わります


しつけの意味を、とにかくよいと思ったことをしろ、それをしろと押しつけることだと捉えると、それをいやがる子は、繰り返されるあまりにいやがる気持ちをしイつけることになって、しっかりいやがる癖をつけてしまうことになります。
どっちつかずの、プラスもあればマイナスも多いのが、普通一般の私たちの現実なのです。マイナス体験をした時、私ってこういうマイナスばかりなんだといわば無力感の強い捨てばちになるか、ああ、いい体験をした。このマイナスは生かせると明るいプラス点に転じ得るか。ちょっとした心の向きの違いが、先々の大きな違いになってゆきます。