子供が思うはずもありません。

いじめは跡を絶たないことになります。


学校から帰って来るのを待ちかまえてと尋ねるのが常になりました。
それをとてもいやがるのだから困ってしまいました。
わが子にとって、男の子の扱いがわからない子どものことでこんなに懸命になったことがないと思うほど、さあどうかしなくてはと気負いたち、努めれば努めるほど、あの子をいらだちに追い込んでいるのではと、今は実に大切な時だと思うのですが、女きょうだいだけで育って、心配でたまらなくなりましたちょうどこういう時だったのです。
に来られたのは……。
私の本を読んで、このお母さんが私のところへ相談お互いに違った精神を抱く時「ご主人は古巣の奈良に戻って安堵の思いでいる。それを見ているあなたは、ああ私も自分の古巣が懐かしい、でももはや帰るところはなくなっているとの不満と不安でイライラ。
しかも転居直後で落ち着かな~。耕一君はと言えば、思春期特有の不安定さの上に、はじめての関西暮らしによる周りとの不協和音。
教育をやめるとか親

母さんの気持ち

お父さんにとってほっとする故郷でも、子どもたちにとってははじめてのもの慣れない関西。瞳ちゃんも幼いながらそれなりに努力しており、自分のことで精いっぱい。これまでで一番家族の気持ちのありようが、バラバラに別れた時期なのですね」
こう推測する私のことばに、久野夫人はこう話しました。
言われてみるとそうですのね。
家族のみんながはじめての関東で寄り添いあったのとは、このたびの奈良への引っ越しは違いますね。私、妙に夫やわが子と自分とは、別個の存在なんだ、というなんか疎外されているという感じで心もとなく孤独なんです。

 

成績が落ち始めついに登校拒否になってしまい

耕一には、何でも言ってと頼めば頼むほどそっぽを向かれるばかりで、どうしていいのか分かりません。耕一の今まで見せたことのないいらだったうっとうしそうな顔をみてると、私を毛嫌いするのは、私にもともと母親としての愛情が欠けていたのかしらと、心配になってこのあいだも耕一、母さん、何かおかしい?何が気に入らないのか言ってと言うと、らを立てたように激しく
おまえのことはおまえで勝手にやれよ。うるせーんじゃ。いろいろと!
むかつばって……。いつからおまえ呼ばわりになったんでしょう。こちらに引っ越して、にわかにあんなふうな変わりよう。私、親として自信がありません私はこう答えました。
分かりあうというのは、なんでも知っておいてやるということではないのですよ。気分をキャッチしおいてくれている、とでも言うのかなあ。
伸ばしてあげてほしいのです
幼稚園でいい子だ

子どもを実験すれば

どうだった?って、執拗に聞いたり、言わせたがったりするよりも、帰宅してきたわが子の様子を見ただけで、学校でのノリの悪さを察知して「ああ、ごくろうさん。学校に慣れるまで気疲れするわよね。熱いお茶でもいれようか?クッキーの残りがあるから、あれをどうぞ。あなたの大好物」
なんて、親は自分の判断で、少々ズレていてもいいから、あっさりと安定した態度でいたわってやるのですね。ズレていたら子どもが訂正しますよ
あっ、クッキー残ってるの。やったぁ。ことばがさあ、なんだかダサイんだよ。気疲れとかさ、大層なことじゃないんだけど。標準語で自然にしゃべってるのが羨ましいのか、奈良の連中ったら、ひがんでやがんのなんて、子どもからつい平生の思いがことばに出やすい雰囲気ができますよことばが少々荒れていたとしても、彼なりに学級でのやりとりに合わせるのに懸命なんでしょう。

子どもは驚いてその様子を見に行きました。

なさいね。
いちいち目くじら立てるのはやめて、気持ちの流れを大切にしてやり気持ちの交流がスムーズだと、あなた自身親として、で神経質に考えることなどなくなってしまいますよ愛情が欠けてるのかどうかまそれじゃあ私、親として自信をもってていいんでしょうか
「そんな質問をことさらになさると、私、子どものように反発心がおこります。そんなぁなたが、自信を持ってなぜ悪いのでしょうかって、意地悪く聞き返したくなりますよ」
とまどいとはにかみと自信との交錯したさわやかな笑顔が、私の前にはありました「自信を持っていいのですよ。
子どもに対する評価

子育ては不安ととまどいの連続です。


愛情については、私は自信がある。そう確信したら、いい関
係が自然に整って、自分にふさわしい愛情が心の底から湧いてきますよ」
愛情は元からあるのではなく、胸がぬくもって出やすくなると湧いて出るものなのです。
三カ月ほど後に、彼女は二度目の来所をしました。
「お話しくださったテープの録音、何度も何度も聞きました。率直に言って、先生の話をじっと聞きながら、実際のあれこれ、耕一についての記憶を思い浮かべてばかりいました。
そしてすっかり自信を回復しました。これからはしっかりやってみます。ありがとうございました」

父親として私はどうするかということでした。

母さんが傍にいればまだいい方である。

育て方をしない
つの自分とすれば、対する左には、みんなに認められて満ちたりた思いにならなければ自分であって自分でないみたいと感ずる自分超自我スーパーエゴがあるのです。そして、その二つの心は対立します。
どちらか一方が満足しただけでは片方がとても不満足で、心の均衡を欠くのですおりこうさんねいい子だねと誰からも評価されて、ほめられているうちは得々として聞き分けのあるいい子でがんばるんですが、やがて、左の自分-超自我の満足はあっても右の自分-我が、次第次第に不満この上もないというふうになるのです。不自然に押さえすぎるととんでもないことになります押さえつけられたの発現よい子で評判だった高校生が、にわかに激昂し、学校で後輩たちを金属バットで殴った。
後輩を殺してしまったと思いこんだその子は、自分が殺人を犯したために、殺人犯の子の親の烙印を押されて一生苦しみ続ける母親がしのびないとばかりに、帰宅して母親をも金属バットで殴り殺してしまいました。これは先年、岡山であった事件です。

ごめんなさい。私が描いてしまってん
お母さんはただ黙って自分自身が救われた思いで美香ちゃんをいっまでも抱きしめましウソをつかないほうが、ずっと心が温かで誇りが高くなる。これは理屈ではなく、こんなふうな時々の出来事で、知らず知らずに培われていく心の習い性というべきでしょう。
ウソのつけない心にウソはいけないこと。もちろんこれは常々、も、とっさの場合とっちめないことですね。
親が口にしておくべき大切なことです。

父親たる中年男性

で私が懸命にここで言いたいことは、自分は大丈夫、どれだけ大事なことかということですの自信を培っておいてやることがもう少し大きくなった子、特に、中学生という難しい年頃の不安定な時にこそ、です。
ウソをついたかどうか、ではなく、つい間違った表現ではないのかと、穏やかに聞いてやる。
ウソではないのか
の代わりに間違いではないのか
と、です。
間違いなら、間
違いだったと正直に表現した時点で、間違いは消えてなくなるのだと。
何にしても、
よかったなあの思いが記憶に積み重なることで、人間は安定するのですからね。

母さんの姿


子どもを幸福にする両親の部屋でいっしょに寝ることが望ましいのですウソはつかないことにしようと暗くよどみの残る誓いを重ねる子より、ウソをつけない心に晴れやかに育ててしまっておくことのほうをこそ……と思うのです。

子が育っ時親自身が育っている

わがままこそ、自我の出発点-·いい子でいるばかりでは不自然人間って、時に、思いっきりわがままに振舞いたいものです。幼いうちに、存分にわがまま振りを発揮しつくして満足したという時期を経ていないと、心のシンが固まったまま歳をとってしまった具合で、ああ、何かいっも発散しきれていないなあと、不燃焼感がいつまでも残ってしまいます。いい子でばかりでいるのは不自然ですね。
前にも書いたように、自分がしたいと思うことを思いっきりやってのけないことには自分であって自分ではないみたいと感ずる自分我1イド·エゴイズムが、右にある!

母さんにはあまり会

つの自分とすれば、対する左には、みんなに認められて満ちたりた思いにならなければ自分であって自分でないみたいと感ずる自分超自我スーパーエゴがあるのです。そして、その二つの心は対立します。
どちらか一方が満足しただけでは片方がとても不満足で、心の均衡を欠くのですおりこうさんねいい子だねと誰からも評価されて、ほめられているうちは得々として聞き分けのあるいい子でがんばるんですが、やがて、左の自分-超自我の満足はあっても右の自分-我が、次第次第に不満この上もないというふうになるのです。不自然に押さえすぎるととんでもないことになります押さえつけられたの発現よい子で評判だった高校生が、にわかに激昂し、学校で後輩たちを金属バットで殴った。
後輩を殺してしまったと思いこんだその子は、自分が殺人を犯したために、殺人犯の子の親の烙印を押されて一生苦しみ続ける母親がしのびないとばかりに、帰宅して母親をも金属バットで殴り殺してしまいました。これは先年、岡山であった事件です。

子どもたちの社会認識は確実に変わっていく。


子どものわがままはある意味
実に悲しい限りですね超自我-スーパーエゴばかりを発揮するようしつけられ、-エゴイズム·イドは自分で押さえっぱなしだったのを、ついに我慢しきれず、になり変わるしかないと、絶望的に思いつめたのですねらくいん人間の心の自然なありようは、超自我とがともによく発現され、
我があまり強くなりすぎず、さりとて超自我も強くなりすぎぬよう両者のバランスをはかるそのとりあいをはかるのが自我-エゴで、自我がバランスよく自分をおさめることを自我が確立すると言うのです。

教育委員会にこのことを言ってくれない

何度も繰り返しますが、自我の混同が困るのです。
白か黒かのどちらか一方になり通そうとしてきて、白であり通すのに耐えきれない以上は、黒になりきらざるを得ぬと、知らず知らず親に教えこまれた。超自我で生き通してを常に殺して過ごすいびつな不自然な生き方が、あんな破綻を迎えたのでした少年は警察で、「寝ていた母親を、金属バットで滅多打ちして殺した後、北海道から国外への逃亡計画を実行するため、北へ向かった。自転車に乗ってペダルをこぎ続け、最初の二日ばかりは何もほかのことは考えられず、ただ極度の興奮でひたすらやった、やったと歓喜あるのみ、という状態だった」と述懐したということです。


両親の部屋でいっしょに寝ることが望ましいのです 子どもを社会的な存在ととらえ 教育をやめるとか親