子どもを社会的な存在ととらえ

小学校のころよりも家にいる時間が短く

叱った後は叱られた嫌な気持ちを、カラッと爽やかに切り替えさせる、こんなタイプの先生なんじゃないでしょうか。
大切なのは子どもののびのびとした明るさ、その子のいいところをしっかり認めてやること。日頃から自分のよいところをしっかり評価し、認めてくれている大人に叱られると子どもの心には
叱られた意味がちゃんと届くのですね。
·プラスを認めてやることだけに徹するアメリカ大リーグで超人気のイチロー。そのお父さんのチチローさんは、叱ることより感嘆の声をあげることによって、あのしなやかで率直で、いつも平常心のイチローの性格を培ってやったということです。
なんでもない時や、ずいぶん下手な投げ方や打ち方をした時には、はい次、はい、次
と練習の流れにつきあってやるだけです。
先生になれる。

子どもに食べさせている食べ物について

だのにオーッ、それだ。やるねぇ。うんと、いいところでしゃんと感嘆の声をあげる。いいところだけ声をあげてやったそうなのですよ認められたことは、暖かく誇らかに繰り返し思い起こすことができるので、たちまち「今のあれだな。ようし、ねえ、父さん、まだ明るいよ。あれ、もう十回繰り返してためしておく。練習もう少し、つきあっていいでしょ」と、自らの心のひろがりのために、イチロー自身が、ひとりでに打ち込んでいく様子だった、とチチローさんが語っておられるのを、何かで読みました。
もう、そうなると、叱ることなんてなかったのでしょうねたとえ十回にたった1回でもさて、十回のうち、九回は明るく認めてもらえて、一回だけきちんと注意されたという場合には、その忠告には否が応でも耳を傾けることになってしまうものです。

 

子供が軌道を外さないよう

心がこちらに向いているなと分かれば、忠告するほうも、くどくどと嫌味な言い方などしなくなっています。いや、たとえ十回のうち、九回までがダメで、いいのはたった一回きりという時だって、九回の非難はぐっとおさえて、一回のよいところをこれはしっかできていると評価してやる。できないところが多くて落ちこみがひどい時には、効きますよこれは確かにいいけど、いいのは十回に一回だけではねぇというような調子で嘆きなじる代わりに、1回でもよしであれば、それをよしよしと誇らしく認める。するとその1回が誇らしい力となって、自らの細胞分裂で増殖がはじまるように、1回が11回に
なり、11回が四回になるのです。
よし

を責めるより、
を認めるのです。
両親の部屋でいっしょに寝ることが望ましいのです
子どもは決して珍しくはないのです。

先生をしていた時にも私

九のを認めてやると自然に心がほぐれます。
一回のそんな心意気で一回のやり直す気が自然に湧く叱っている時は、知らず知らずのうちに声も表情も暗くなりがちですね。
険しいくどくどしさって、相手を嫌な気持ちにさせます。さあ、やり直そう!という気持ちが自然と湧いてくるのは、気持ちを持ち直すことですから、暗く険しくてはダメなのです。
間違ったことをしでかした子を激しく叱責し、もう二度としませんと、誓いを繰り返させているのを見かけます。私は、それには賛成しかねます。穏やかにこう言って、しっかりと心の奥の方向性を再確信させればよいのです「誓いや約束を繰り返すことなどしなくていいことばで聞くよりも、実際にまたやるかやらないかだからね。

育てるだけでなく

あとあとの行為を見れば分かる。すっきりやらないように変えるなんてことは、そう簡単なことでない。また繰り返すかも知れない。その時は、ことばでではなく心の中で、もう繰り返さないようにと自分に声をかけておけ。そうすれば、しだいにしないことが当たり前になっていくよ。大丈夫」
くどくど叱るのは、叱られる者にとってよく響かないのです。

荒れる子の荒れる原因が分かる切なさ

不機嫌この上なしの日々なんでこの頃あんなに不機嫌なのか、分からない
と思う時
子どもを社会的な存在ととらえ

中学校時代など


「どうしてそんなに暗い顔をして、何も言ってくれなくなったの。
ねえ、どうして」
と率直に尋ねても、子どもがすぐに答えてはくれませんね。
「この頃、態度が悪いぞって、オレばかり先生が叱るんだ。分かってねえんだよ。
くるのは、川井と茂山ばかりなのに」
仕掛けてなどと、自分の困り事を誰かに陰で話しているようなら、そう問いかけることが心を閉じ込ませる糸口になっているのですね。問いかけてもムッとするばかりで答えてはくれない時って多いのです。気持ちが整理できないで落ちこんでいる子どもは、そういう問いかけに答える気にはならず、むしろ嫌気を起こして

教育で得た収穫である。

子どもが求められてくることは間違いありません。

こんなふうに言ってくださると、私自身、ひとに支えられている自分を感じます。
こそこっちがありがとうございますなのですね。
それ

PTSDやトラウマはどう癒されるのか

あの大震災のあと使われ出したことば神戸の大震災以後、心的外傷後ストレス障害ということばやトラウマといPTSDよく耳にするようになりましたう心理学用語が一般化され、神戸に生まれて神戸に育った私は、長田区でも山側の被害の少ない地域でしたが、あの朝の激震で
ああ、死ぬってこんなにあっけない成り行きなのかと感じるすごさを体験しました。自宅は瓦屋根を葺き替える程度ですみました。縁者の安否を確かめるためにまだあの大火災が起こる前の壊滅直後の街中を、どうにか車の走れる道路を選び選び走りました。現実感のわきようのない、まるで昔の地獄絵の絵巻物の中へ自分が夢遊状態で放り込まれているとしか思えませんでした。阿鼻叫喚の筆舌に尽くし難い有様に、ただただ意識は茫然としたまま、いったい自分があれからの数カ月、どういう日々を過ごしたかを正確にはとても覚えてはいません。
子どもに対する評価

子どもの可能性は大きく広がることでしょう。

あびきょうかんぼうぜん強烈な恐怖体験後、おびえの記憶が残って心の緊張が続き、日々の生活に支障をきたすというさまを、心的外傷後ストレス障害PTSDと言い、神戸の子どものPTSDについては、震災後、何年も残る大きな課題として取り沙汰されているわけです。
悪夢的な悲惨な体験を持った方が、それ以後何をするにつけても、その記憶の痕跡に拘泥させられ、正常な精神状態にはおれないことを、トラウマが残っているといい、このトラウマということばも、あの震災後、よく使われるようになりました·一生涯残り続けるのかPTSDやトラウマは、そのひとの心に一生涯重圧であり続けるしかないのでしょうか。

 

学校でも同じなのですが最近ない

もっと一般的な現象として、心が不自然な圧迫をうけて、のびのび、生き生きとすることがおさえられる状態を、ストレスを受けるといいますが、いろんなストレスを味わうということは、それだけで単にマイナスの要因でしかないのでしょうか。
大激震の日の夜が来て、被害地に追いうちをかける大火災の猛煙が赤々と広がっているのを、高台に位置する自宅から一望にした私は、引き続きやってくる余震のおびえに心の芯まで冷え固まって震えながら、しきりと、あの悪夢の再来なのだ、と繰り返し口の中でつぶやいていたのですそれより何十倍何千倍も真赤に焼けただれたちょうど半世紀前の神戸の夜空を思い出していたのです。
それは子どもの頃の、太平洋戦争末期の大空襲被災の夜の記憶でした。
かいじんこのたびの震災の比ではなく、一夜明ければ見渡す限り灰燼に帰していた日。
があざやかに心によみがえってくるのでした。
あの光景決定的な痛みの数々しょういだん敵機B29の幾編成もが、無数の焼夷弾を次々と落としていく。恐怖の体験であるのに夜目に、来襲する飛行機から放出された一つの光の矢が落下の途中で炸裂して数十の光の放列に変わるのは、光の饗宴と見ほれる美しさでした。
経験が今はじまったば
父親としてはいたず

学校に行くことが辛いように言うというのです。

圧倒的なこわさをつい忘れてきれいと思う瞬後に、ヒューと音を立てて、その一発が逃げ惑う私たちの至近の草むらにドスンパチパチと落ちて猛火を発しました。
さくれつきょうえん今だから、こんな客観的な書き方ができますが、当時の私は子ども心に、なぜ戦争というものがあるのか。この敵機襲来はアメリカ軍上陸へと引き続いていくのか。どんどん
殺されて、もう逃げ惑う余地もなくなるのだろうか
とおびえる毎日でした。こわくてこわくてたまらなく、これはもう生半可なPTSDやトラウマの話どころではなかったわけですその恐怖たるや、ストレスなんてものではありませんでした戦争が終わってからの、飢えの体験もまた、ことばで語れるものではありませんでした。食べるものがない、腹がへってもどうしようもない。母が、一切の食料が底をついているのに、さあ、お好み焼ができたよと私たちを狂喜させた日があります。

大学院に進むのは大いに結構だ。

みんなむさぼるように食いついて、一口ほおばったまま胃も心も意気消沈みじめの限りもそのはず、困りぬいた母のせめての工夫で、そのお好み焼たるや、生地は米ぬかで、刻んだ大根の葉だけが入った、油抜き、しょう油抜きの、得体の知れぬ代物だったのですからそれ究極の飢えに、このままだと、長くは生きられないのではないか
きの並のストレスとはどだい、質が違っていたと思います。
という恐怖は、今どストレスとどうつきあえるかストレスはストレスを超えることで、人間をよりしっかりしたものにしてくれるまたとない試練だと思っています。
PTSDやトラウマを軽視してはいけません。その状況下にあって、逃げも隠れもしないで、こっぴどい体験を、しっかりしっかり体験すること。体験したという記憶から早く逃れようとあせってはならないと思います。

もう二度とは消えうせない記憶と思う。だのにここはだけどはないのですねあと愉しいことや気持ちの安定の日々を重ねていると、いつか、その痕跡は消えていくのです。
大丈夫ですよ
積み重ねあるのみ、です。
私は戦後も、空襲警報のサイレンが街中に響くのがおびえの種でした。
母さんの意地悪!

子どもはどうしてもけがをします。


戦争中、街中の大会社や工場の始業開始や終わりを告げるサイレンが、長くどこまでも尾を引く時と違って、空襲警報の時は、短いのが十回続いて鳴りました。空襲警報で街中のサイレンが、ウウS、とうなりはじめる時、私はびくりとして息がつまることが癖になっておりました。
戦後もサイレンへのおびえがいささかも消えませんでした。死ぬまでこのおびえが続くかとさえ思ったものです、諦めに近い気持ちで。いつからそのおびえが消えたのでしょう明るい元気な日々の展開で、いつしかあのおびえは遠のいて、過去の記憶として、アルバムの単なる1枚の写真、それもセピア色の写真の印象になってしまいました。
心のさあ、現実に戻って。
なにかとストレスだらけの一日。
ストレスが起こるのがやむを得ない、共働きときれいごとを言うのはよ日頃、ストレスがあるような生活はダメだと、育児と主婦業の忙しさ。

子供が思うはずもありません。

いじめは跡を絶たないことになります。


学校から帰って来るのを待ちかまえてと尋ねるのが常になりました。
それをとてもいやがるのだから困ってしまいました。
わが子にとって、男の子の扱いがわからない子どものことでこんなに懸命になったことがないと思うほど、さあどうかしなくてはと気負いたち、努めれば努めるほど、あの子をいらだちに追い込んでいるのではと、今は実に大切な時だと思うのですが、女きょうだいだけで育って、心配でたまらなくなりましたちょうどこういう時だったのです。
に来られたのは……。
私の本を読んで、このお母さんが私のところへ相談お互いに違った精神を抱く時「ご主人は古巣の奈良に戻って安堵の思いでいる。それを見ているあなたは、ああ私も自分の古巣が懐かしい、でももはや帰るところはなくなっているとの不満と不安でイライラ。
しかも転居直後で落ち着かな~。耕一君はと言えば、思春期特有の不安定さの上に、はじめての関西暮らしによる周りとの不協和音。
教育をやめるとか親

母さんの気持ち

お父さんにとってほっとする故郷でも、子どもたちにとってははじめてのもの慣れない関西。瞳ちゃんも幼いながらそれなりに努力しており、自分のことで精いっぱい。これまでで一番家族の気持ちのありようが、バラバラに別れた時期なのですね」
こう推測する私のことばに、久野夫人はこう話しました。
言われてみるとそうですのね。
家族のみんながはじめての関東で寄り添いあったのとは、このたびの奈良への引っ越しは違いますね。私、妙に夫やわが子と自分とは、別個の存在なんだ、というなんか疎外されているという感じで心もとなく孤独なんです。

 

成績が落ち始めついに登校拒否になってしまい

耕一には、何でも言ってと頼めば頼むほどそっぽを向かれるばかりで、どうしていいのか分かりません。耕一の今まで見せたことのないいらだったうっとうしそうな顔をみてると、私を毛嫌いするのは、私にもともと母親としての愛情が欠けていたのかしらと、心配になってこのあいだも耕一、母さん、何かおかしい?何が気に入らないのか言ってと言うと、らを立てたように激しく
おまえのことはおまえで勝手にやれよ。うるせーんじゃ。いろいろと!
むかつばって……。いつからおまえ呼ばわりになったんでしょう。こちらに引っ越して、にわかにあんなふうな変わりよう。私、親として自信がありません私はこう答えました。
分かりあうというのは、なんでも知っておいてやるということではないのですよ。気分をキャッチしおいてくれている、とでも言うのかなあ。
伸ばしてあげてほしいのです
幼稚園でいい子だ

子どもを実験すれば

どうだった?って、執拗に聞いたり、言わせたがったりするよりも、帰宅してきたわが子の様子を見ただけで、学校でのノリの悪さを察知して「ああ、ごくろうさん。学校に慣れるまで気疲れするわよね。熱いお茶でもいれようか?クッキーの残りがあるから、あれをどうぞ。あなたの大好物」
なんて、親は自分の判断で、少々ズレていてもいいから、あっさりと安定した態度でいたわってやるのですね。ズレていたら子どもが訂正しますよ
あっ、クッキー残ってるの。やったぁ。ことばがさあ、なんだかダサイんだよ。気疲れとかさ、大層なことじゃないんだけど。標準語で自然にしゃべってるのが羨ましいのか、奈良の連中ったら、ひがんでやがんのなんて、子どもからつい平生の思いがことばに出やすい雰囲気ができますよことばが少々荒れていたとしても、彼なりに学級でのやりとりに合わせるのに懸命なんでしょう。

子どもは驚いてその様子を見に行きました。

なさいね。
いちいち目くじら立てるのはやめて、気持ちの流れを大切にしてやり気持ちの交流がスムーズだと、あなた自身親として、で神経質に考えることなどなくなってしまいますよ愛情が欠けてるのかどうかまそれじゃあ私、親として自信をもってていいんでしょうか
「そんな質問をことさらになさると、私、子どものように反発心がおこります。そんなぁなたが、自信を持ってなぜ悪いのでしょうかって、意地悪く聞き返したくなりますよ」
とまどいとはにかみと自信との交錯したさわやかな笑顔が、私の前にはありました「自信を持っていいのですよ。
子どもに対する評価

子育ては不安ととまどいの連続です。


愛情については、私は自信がある。そう確信したら、いい関
係が自然に整って、自分にふさわしい愛情が心の底から湧いてきますよ」
愛情は元からあるのではなく、胸がぬくもって出やすくなると湧いて出るものなのです。
三カ月ほど後に、彼女は二度目の来所をしました。
「お話しくださったテープの録音、何度も何度も聞きました。率直に言って、先生の話をじっと聞きながら、実際のあれこれ、耕一についての記憶を思い浮かべてばかりいました。
そしてすっかり自信を回復しました。これからはしっかりやってみます。ありがとうございました」